おしどり登山隊                                  |風便りへ ホームへ 
3日目 2018年4月4日 佐々並市ー日南瀬休憩所ー夏木原交流施設ー国境の碑ー坂堂峠ー六軒茶屋ー天花坂口ー瑠璃光寺ー山口駅
 萩往還は、山陰から山陽へ、そして山陽から山陰への山越えの道であり、何度か峠道を上り下りする。佐々並市からはすぐに
 日南瀬峠への登りが始まる。佐々並市頭一里塚を後にすると棚田が残る道を進み、宮ノ峠からは国道を歩いていく。
 日南瀬峠を超え、吉田松陰 東送通過の地の碑のところで右折し山道に入っていくと日南瀬休憩所がある。
 休憩所から峠を越えると県道に出、萩往還最大の難所である板堂峠への登りが続く。峠を越え、萩往還一番の見どころ六軒
 茶屋
を過ぎ、一の坂四十二の曲がりの急坂を下ると山口が見えてくる。萩往還天花坂口を出ると県道62号線をひたすら下り
 山口市街へ。 
佐々並市街道筋 萩往還ふれあい塾 佐々並市茶屋跡
■佐々並市〜日南瀬休憩所(首切れ地蔵) 3.4km ルートマップはこちら
 7:30 はやし屋旅館で作ってもらったおにぎりを持って出発。街道の突き当りで右手にあるJAあぶらんど佐々並で飲み物
  を調達。この近所ではここにしか自動販売機がないそうです。
  萩往還ふれあい塾の前を通り、すこし行くと広い敷地の佐々並市御茶屋跡がある。茶屋跡を右に曲がると佐々並市頭一里
  塚
がある。 萩唐樋札場跡から四番目・4里の位置にある。三田尻まであと8里だ!
  。
佐々並市頭一里塚 貴布祢神社 萩往還 棚田と道祖神(マウス ON)
 佐々並市頭一里塚のすぐ先に貴布祢神社の石段がある。満開の桜が美しい。昔ながらの棚田が残る道を進むと宮ノ峠で国道に
 合流する。棚田に残る道祖神は佐々並の守り神だろう。安永年間(1772〜1781)のものらしい。  
宮ノ峠 国道から県道へ 吉田松陰 東送通過の地
 7:42 国道を20分歩くと国道から離れるが10分もしないうちに再び国道に戻る。
  中の作の日南瀬峠を越え、「吉田松陰 東送通過の地」の碑が立つところで右折して山道に入っていく。 
8:20 日南瀬川を渡る 首切れ地蔵 8:25 日南瀬休憩所
 すぐに左折して、日南瀬川を渡り5〜6分歩くと首切れ地蔵日南瀬休憩所がある。
 8:25 日南瀬休憩所に到着。佐々並からほぼ1時間の距離だ。
  首切れ地蔵の案内板には
   昔、渡辺という武士が囲碁の争いから相手方に討たれたので、渡辺の下僕の源助はそのことを悲しんで毎日墓参して
   いた。ある時ここで休んでいると、地蔵菩薩が現れ、この下に地蔵が埋まっているので、それを掘り出せば願いが叶う
   といった。沼の中に埋もれていた地蔵尊の頭を掘り出し、これを手厚く供養した。その後、幼主も成長し、目出度く仇を
   討ったので、この地蔵尊のお陰と参拝者が増えたという。この地蔵尊は最初から首がはなれていたので首切れ地蔵
   と呼んでいる。
  と書いてある。地蔵尊の頭が埋まっていた沼は、日南瀬休憩所が建っている場所だと言われている。   
復元された石風呂 小さな峠を越え県道62号線に合流 県道62号線の緩やかな坂道を行く
■日南瀬休憩所〜夏木原交流施設 3.5km ルートマップはこちら
 8:35 日南瀬休憩所を出発。すぐ先に「日南瀬(ひなたせ)の石風呂」が復元されている。これは風呂の原型と言うべき
  もので、石を組んで石室をつくり、土をおおったものです。この石風呂は平成九年に再現したもので、当時の石風呂は日南
  瀬バス停下の山中に今も残っている。
  石風呂を後にし、小さな峠を越えると県道62号線に合流する。萩往還を歩く人の為に作ったような、片側に広い歩道を
  持った県道は車の量も少なく快適な道だ。 
上長瀬一里塚 逆修石 9:27 夏木原交流施設
 県道を15分ほど歩くと左手に上長瀬一里塚がある。この一里塚は原型に近い形で残っていて、萩から5里、防府三田尻から
 7里を示し、県指定史跡となっている。
 更にその少し先に逆修石(ぎゃくしせき)という大きな露岩がある。一の坂金山を管理していた宇田川備後守がなかなか金、
 銀を掘りあてることが出来ずに困っていたが、ある日、夢で太陽が懐に入る夢をみたことから、再び掘ったところ大量の銀を
 掘り出したと伝えられている。
 慶長の初めから元和5〜6年(1619〜1620)頃が盛んであり、寛永11年(1634)に宇田川備後守がこの逆修石
 を立て、施工したころが終わりであったという。
 逆修とは「生前にあらかじめ自分のために仏事を修めて冥福を祈る」ことを意味する。
 県道を登り続け、9:27 夏木原交流施設に着く。 日南瀬休憩所から52分。  
国道から分かれて山道へ 国境の碑
■夏木原交流施設〜国境の碑 0.6km ルートマップはこちら
 9:40 夏木原交流施設を出発。吉田松陰が江戸に送られる途中に詠んだ歌碑を後に少し傾斜の増した道を400mほど
  歩くと国境の碑への分岐がある。横木の旧階段を上ると左手小高い所に「国境の碑」が立っている。この碑には
  「南 周防国 吉敷郡」、「南 長門国阿武郡」、「文化5年戌辰11月建立」と刻まれている。 
板堂峠 砂利道を下る 県道を横切り再び階段を登る
■国境の碑〜六軒茶屋 1.9km ルートマップはこちら
 9:53 国境の碑を後に周防国(すおうのくに)に入る。 一旦、県道に降り、向かいの「東鳳翩山登山口」の標識のところ
  から階段を登ると板堂峠に達する。萩往還で最も標高(537m)が高く険しい峠道であった。右手に東鳳翩山登山口
  がある。国境の碑から5〜6分(200m)の距離だ。
  砂利道の峠を越えて坂を下り、県道を横切り、再び階段を登ると萩往還らしい気持ちの良い一の坂の長い下り道になる。 
キンチジミの清水 一貫石 一の坂一里塚
 石畳の残る道を進むと左手に「キンチジミの清水」がある。とても冷たい水で大正の頃までこの先にある六軒茶屋のトコロ
 テンの水として使われていたというが、今は湧水量が少なく飲めそうもない。 その先の谷には「一貫石」という大きな石が
 谷間を埋めている。
 一貫文(5万〜10万円?)炒りの財布をここに置き忘れて伊勢参りに行って、帰りに寄ったらそのまま置いてあったとか。
 さらに暫く下ると「一の坂一里塚」が復元されている。案内板には、「昔は塚木に「北方 従萩唐樋札場 六里」 「南方 
 従三田尻船場六里」と記されており、ちょうどここが萩往還の中間点だったことがわかる」と書かれている。 
石畳の道 一の坂駕籠建場・六軒茶屋跡
10:30石畳の道を下り、一の坂駕籠建場・六軒茶屋跡に到着。この六軒茶屋という名称は、石垣で土留した左右3か所、計6
  ケ所のお茶屋さんがあったからだろう。つい最近(50年ほど前?)まで、ここには家があって人が住んでいたそうです。
  六軒茶屋近くに、元地主だったと思われる人の立札が立っている。 内容は、県はこの場所を殿様が休息した場所として
  大々的に整備したが、ここは庶民の休憩場所であり、実際の殿様の休憩所はもっと上にあったと主張している。
  そういえば、10年ほど前に東鳳翩山に登った時に、一貫石の近くに駕籠建場跡の立札が立っていたのを覚えているが、
  今回は発見できなかった。
  六軒茶屋の休憩所で一休み。ここにはトイレもある。  
四十二の曲がり 天花坂口への下り 11:10 萩往還天花坂口
■六軒茶屋〜天花坂口 0.9km ルートマップはこちら
 10:50 六軒茶屋跡を出発。急坂を下り県道を横断すると四十二の曲がりへ。「ここは一の坂四十二の曲がり おりて
  くだされ旦那様」と駕籠かきに歌われた難所だ。
  四十二の曲がりを下り切り、林を抜けると棚田の中を通る石畳の道になる。天花の集落が見えだすと間もなく萩往還
  天花坂口に着く。  
桜吹雪の中、一の坂ダムへ 12:10 瑠璃光寺五重塔 道場門前の案内
■天花坂口〜山口駅 6.1km ルートマップはこちら
 11:10 萩往還天花坂口を通過。萩往還の見どころはほぼ終わりだ。
  萩往還の旧道は、山口市の中心に向かって川の右手になると思えるが、ダムが出来て遮断されてしまったようだ。桜吹雪の
  県道を下っていく。
 11:35 一の坂ダムに到着。佐々並のはやし屋旅館で握ってくれたおにぎりを頬張る。ビールが欲しい!
  どんどん下り、天花畑の天花橋で萩往還旧道を出会う。往還は竪小路を札の辻まで直進だが、右へ曲がり瑠璃光寺に寄る。
  天花橋を通過して10分後に瑠璃光寺に到着。数組の新郎新婦が五重塔をバックに記念撮影している。
 12:40 札の辻・石州街道合流点に着くが、何の印も見当たらないが・・・・・。萩往還の標識を見つけて一安心する。
  札の辻で左折し、中市商店街へ。やっと見つけたお好み焼き屋でビールにありつけた。極上の幸せ気分だ!
 14:00 本日の終点、山口駅に到着。 今日の宿は湯田温泉、ゆっくり汗を流そう!

  今日の歩行距離 16.3km  
1 萩城下町   2 萩城跡〜佐々並市   3 佐々並市〜山口駅   4 山口駅〜三田尻茶屋跡
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