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1日目     2018年4月2日  明倫館〜萩城下町〜堀内〜萩城跡(指月公園) 

 初めての街道歩き。東広島駅9:13発こだまで10:11新山口駅へ。ダイヤとバス乗り場が4月1日から変更になっており戸惑うが、
 時間に余裕があり慌てることも無く、カフェでコーヒータイムをする。新山口駅からは10:55発スーパー萩号で11:55明倫バスセン
 ターに到着。
 萩は毛利輝元が慶長9年(1604)に萩の地に築城・開府し、藩府が山口に移るまでの約260年間、毛利36万石の城下町として栄え
 ました。古い町並みは今でも往時の面影を色濃く残し、明治維新胎動の地として、維新の志士のゆかりの地や古い神社仏閣などが
 数多く残り、歴史絵巻の中に入り込むような風景は広がっている。
 今日はそんな萩の城下町をゆっくり歩いて散策し、宵待ちの宿・萩一輪で疲れをとり、明日からの街道歩きに備えよう。
 
明倫館南門 明倫学舎本館 有備館
旧藩校明倫館 萩の中心部にあり、藩によって科学技術や教育振興が行われていた全国有数の規模を誇る藩校。当時の有備館
 (剣術稽古場、坂本龍馬も試合をしたといわれている。)や南門、また全国で現存する唯一の水中騎馬練習場などがある。
 スーパー萩号は明倫館の構内のバス停に停車する。明倫館南門のまえを通り、明倫学舎本館前へ。藩校明倫館の跡地に建築
 された本館を含む旧明倫小学校木造校舎群は国の登録有形文化財に登録されている。
 明倫学舎本館前を通り、有備館へ。龍馬が試合をしたと云われる道場を見学する。
江戸屋横町 円政寺 青木家住宅
■萩城下町 旧町人地  萩城外堀の外側にあり、町屋や中・下級の武家屋敷が軒を連ねていた地区です。町筋は碁盤目状になって
  おり、御成り道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、横町には菊屋横町、伊勢屋横町、江戸屋横町と
  いう名の小路がある。
 【江戸屋横町】明倫館を後にし、中央公園を抜けると萩城下町の入口がある。最初の通りが江戸屋横町だ。白壁と黒板塀のコント
  ラストが美しい通りです。高杉晋作と伊藤博文が幼年期に勉強したという円政寺の前を抜けると青木家住宅があり、白壁と黒板塀の
  美しい通りを進むと木戸孝允(桂小五郎)の旧宅がある。 
  
白壁と黒板塀のコントラストが美しい 木戸孝允が生まれてから約20年過ごした旧宅
  木戸孝允実父・和田昌景と青木家の当主青木周弼はともに潘医で隣近所に住まいしていたことになる。
  木戸孝允旧宅の木戸番のおばさんの説明を受けながら家の中を見学しました。建坪216u(約65坪)の大きな家です。
  木戸孝允はこの和田家に生まれ、8歳の時150石の桂家の養子になりましたが養父母死亡の為、実家で20歳まで過ごし、初名を
  桂小五郎、33歳の時藩命により木戸寛治と改めたということです。実名は孝允です。
 
萩城下町の御成り道 御用商人菊屋 伊勢屋横町の通り
 ■【伊勢屋横町】江戸屋横町を北に進み、突き当りの道が参勤交代の大名行列が往来した御成り道になる。左に曲がると左手に
  藩の御用達を務めた豪商・菊屋の住宅があり、それに対峙するように呉服商、酒造業を営んでいた久保田家の旧宅が立ち並んで
  いる。これらはともに国指定史跡萩城城下町を構成する重要な建造物です。なた菊屋は国指定重要文化財でもある。
  江戸屋横町の次の小路が伊勢屋横町です。この小路は呉服商・伊勢屋があった通りであるがこれといった史跡もないのでパスする。
  
美しいなまこ壁 盛りだくさんの天ぷらと夏ミカン蕎麦 白塀が美しい小路
【菊屋横町】 豪商・菊屋の前を過ぎると菊屋横町がある。その前に入口の角にあるお食事処わらじ夏ミカン天ぷらそばを食
  べる。(おすすめは釜飯みたいだけど)。
  菊屋横町は日本の道百選に選ばれた城下町ならではの風情が残る横町で、白いなまこ壁の間を入ると幕末の風雲児・高杉晋作の
  生誕地、第26代総理大臣・田中儀一の生誕地がある。
  
高杉晋作生誕地 高杉晋作像 風情のある横町
  高杉晋作生誕地の近くの晋作広場には、若かりし頃の髷姿の晋作像が立っている。
 
生垣が美しい通り イヌマキと外堀に架る橋 春日神社
■萩城下町旧上級武家地  萩城と外堀の間で、毛利一門をはじめとする藩の重臣達の侍屋敷が立ち並んでいた地区です。この一
 帯は旧三の丸にあたり、「堀内地区」とも呼ばれ、国の重要伝統的建造物保存地区に指定されている。
 菊屋横町を南下し、美しい生垣の通りを西に進むと広い通りの側に旧清末藩御用地の大きなイヌマキの木が見えてくる。通りの縁には
 細い川が流れているがこれがかっての外堀だろうか? 古い石碑の立つ橋を渡ると堀内地区だ。
  
満開の桜並木 旧児玉家長屋 平安古総門跡
 春日神社と保育園の間を桜を見ながら進むと路地に突き当たり、左に曲がると旧児玉家長屋があり、その先には平安古総門跡(ひ
 やこそうもんあと)の石碑が立っている。児玉家は萩藩寄組に属し2243石余の大身武士で、その屋敷の表門は平安古総門に隣接
 していた。
 
城へ通じる最古の石橋・平安橋
 平安古総門跡を右手に過ごすと平安橋がある。萩城三の丸の三つの総門(北・中・平安古)の一つ、平安古総門の外堀に架けられた
 石橋で萩城三の丸から城下町へ通じる道でした。昔は北ノ総門や中ノ総門にも橋がありましたが、現存するのは平安橋だけで最古の
 石橋です。また、北ノ総門は平成16年(2004年)に復元され、付近には外堀も整備されていますが、今回は見落としてしまいました。
  
大身の武家屋敷の色々な土塀が美しい
 平安橋から引き返し、旧梨羽家書院のある小路へ。大身の武家屋敷が並ぶ通りは色々な土塀が連なり、美しい景観を成している。
 
旧梨羽家書院 旧二宮家長屋門 口羽家住宅 表門
 梨羽家は萩藩大組(683石余)の藩士で、屋敷は堀内地区の重臣たちの屋敷街に位置していた。
 梨羽家を過ぎると右手に旧二宮家長屋門がある。二宮家も萩藩大組(891石余)の藩士で、美祢郡嘉万村(現在の美祢市)に領地
 をもっていた。祖の二宮就辰は毛利元就の子だそうです。
 小路を突き当り、左に曲がると口羽家住宅がある。永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄り組士口羽家の住宅です。萩城下に残る上級武
 士の屋敷としては古く、かつ全国的にも比較的数の少ない武家屋敷の一遺構として貴重です。白壁となまこ塀のコントラストが美しく、
 萩に現存する長屋門として最も雄大な規模を誇っています。
 
旧福原家萩屋敷門 北門屋敷 旧毛利家別邸表門
 口羽家住宅から北に進み、グランドの角を右折すると旧福原家萩屋敷門が左手に、その続きに旅館の北門屋敷、さらに旧毛利  家別邸表門が連なっている。萩藩永代家老福原家(11314余石)の本拠は宇部にあったが、当主は萩藩の重臣として萩に住むの
 が常であった。また、長州藩13代毛利敬親(そうせい候)は福原家の出である。
 毛利家一門・吉敷毛利家屋敷跡に建つ北門屋敷は萩城下町の中にある唯一の旅館である。 一度泊まってみたいものだ!
 
天樹院墓所 萩城入口 萩八景遊覧船乗り場
 先ほど通った南北の道に戻り、更に北に行くと 天樹院墓所がある。天樹院は萩藩を創設した毛利輝元の墓所。もともとここは輝元の
 隠居所(四本松邸)で、輝元亡き後天樹院という菩提寺が立てられましたが、維新後に廃寺となった。竹林に囲まれた静かな場所に
 五輪塔形の墓が残っている。
 天樹院墓所の前の道を西に進むと中堀に出る。萩八景遊覧船乗り場を見ながら萩城入口の橋を渡り二の丸へ。
 
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 毛利輝元像のある二の丸南門 本丸門
萩城跡(指月公園) 萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城ともよばれ、山麓の平城と
  山頂の山城とを合わせた平山城で本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっている。本丸には高さ14.5mの五層の天守閣がありまし
  たが、明治7年(1874)に天守閣、櫓などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡
  にしていされている。また城内には500本のソメイヨシノが植えられ萩一番の花見の名所となっている。

 毛利家一門の一つである厚狭毛利家(8371石余)の15500uの広大な敷地を誇った武家屋敷の旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
 前で右折すると二の丸南門がある。満開の桜の下で毛利輝元の像が出迎えてくれる。
 萩窯元を右に過ごすと内堀を渡る橋があり、その奥に本丸門が見えている。
 
萩城跡(指月公園)入口 志都岐山神社への道 萩城天守閣跡
 左に天主台を見ながら内堀を渡るといよいよ本丸だ。本丸門で料金(200円)を払い城内へ。志都岐山神社へのメインロードから
 分かれて石垣に沿って進むと天守閣跡にでる。天守閣跡に登ると満開の桜の下で宴を張る家族連れの姿があちこちで見られる。
指月山を背に城内は花の宴 時打矢倉門跡 菊ヶ浜から指月山を見る
 城内を散策し、北門(時打矢倉門跡)から白砂青松の菊ヶ浜へ。そして今宵の宿萩一輪に投宿。
 美味しい食事と美しい景色と温泉に癒され、明日からの街道歩きに思いを馳せながら英気を養う。
 
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