おしどり登山隊                                             |風便りへ ホームへ 
4日目       2018年4月5日(木曜日)   山口駅〜大内御堀〜柊神社〜鯖山峠〜防府天満宮〜三田尻茶屋跡

 萩往還も山口を過ぎると開発が進み、かっての街道の趣や遺構も少なくなってくる。中国自動車道・山口ICからは国道262号線と並行
 してほぼ平坦な旧道を進み、このコース唯一の峠、鯖山峠を越えると防府に入る。佐波川を渡ると防府市街地になり、旧山陽道と合流
 すると間もなく防府天満宮に至る。
 防府天満宮から天神通りを真っすぐ南下し、JR山陽本線のガード下を潜り更に直進し明覚寺の角を左折すると萩往還の終点三田尻
 茶屋跡(英雲荘)に到着する。さらに茶屋跡から西に600mの所には三田尻御船倉跡が残っている。
 
鰐石橋にある大内御堀の看板 興隆寺入口から狭い路地へ 山口IC近くの国道262号線へ
■山口駅〜柊神社 5.9km   ルートマップはこちら

 7:45 山口駅を出発し、山口地方裁判所の角を左折しマンション街を抜け、二つ目の四つ角を左折して鰐石踏切りを渡って進む。通
  勤ラッシュの車が狭い道にひしめき、安心して歩けない。鰐石橋の袂には巨岩の重岩があったはずだがそれさえ見逃してしまった。
  橋を渡った所に立っていた大内歴史さんぽ道の大きな案内板で大内御堀の名所を改めて確認する。
  宮島町の信号で、一旦県道21号線に出るが250m先の大内御堀の信号から再び旧道に入っていく。左手に天保10年と刻まれた
  地蔵尊の所から左手の道を進むと乗福寺がある。ここは古い土塀に囲まれた境内の裏には大内義弘の墓や山口開府の祖である
  大内弘世の墓がある。その先1kmの所に興隆寺・北辰妙見社への入口の看板が立っている五差路がある。ここから萩往還は地図上
  では広い道を斜め右に行くようになっているが、案内標識は右に曲がり狭い路地に入っていく。出たところが仁保川に架る氷上橋。
  氷上橋を渡った辺りは新しい道が入り乱れ、標識の向きも少しずれていた為、南に向かう道に入って農林総合技術センターに来てし
  まった。前に公園がある広大な敷地だ。
 8:35〜8:45 迷ったついでにトイレ休憩。
  氷上橋まで戻り、萩往還を進んでいくと中国自動車道山口ICがある。この辺りは旧道が失われて分かりにくいが、萩往還の青い標識
  に従って進むと無事、中国道を潜ることが出来た。
 
ガードを三つ潜る(マウス ON) ガード下を潜り、右折していく 柊神社(マウス ON)

 9:27  ガードを潜り抜け、萩往還に戻るとすぐ柊神社が左手にある。この神社の創立は不明だが、宝暦8年(1758)長州藩主毛利
  宗広の二女誠姫が再興したという。昔から婦人病の者が鳥居を奉納して祈れば霊験あらたかと伝えられている。
 9:34  境内の木陰で涼み、おもむろに出発する。
  大師原公園の小さな峠を越え、その先の国道262号線に接する手前に石仏があり、その横に萩往還の道標が立っているが、この
  あたりには、それも数少ない。
   
吉岡一味斎遭難の地 禅昌寺入口 鯖山峠まで1000m
■柊神社〜禅昌寺入口  4.2km ルートマップはこちら
 
 10:02 鳴滝橋交差点に出て、国道262号線を少し進み左に旧道に入る。すぐ先を右折すると、左手に鳴滝温泉満天の湯があり、そ
  の先に「吉岡一味斎遭難の地」という石碑と小さな祠がある。吉岡一味斎は毛利藩県道指南役で、そのという美しい娘がいたと
  いう。その娘を同藩の京極内匠が嫁にもらおうとしたが、一味斎はこれを許さなかった。これを恨みに思った内匠は一味斎をこの地で
  待ち伏せ、鉄砲で暗殺したという。一味斎の妻は娘を連れて夫の仇をとるため内匠を探し、小倉城下で本懐を遂げたという。
  この物語は潤色されて浄瑠璃の彦山権現「誓助剣となって文楽でも上演されているという。
  国道262号線が隣接してくるとローソンがある。やれやれ! ここで生ぬるくなった飲料水に変わって冷たい飲み物や軽食を調達でき
  そうだ。 アイスクリームを食べながら歩いていくと萩往還の道標が立つ禅昌寺入口に着いた。この辺りの道標はお寺の入口に立って
  いるようだ。山の手には禅昌寺の大伽藍が見え隠れしている。
  国道と並行して進んでいくと前方に工場のような建物群が見え、鯖山峠まで1000mの案内が立っている。この辺りが天保2年(18
  31)の防長大一揆の発火点となった小鯖皮番所跡があった場所だろうか?
  
鯖山峠入口 コブシ? タムシバ? 鯖山峠への道
■禅昌寺入口〜鯖山峠  2.8km  ルートマップはこちら

 11:10  突き当りで国道に上がって横断し、300mほど進むと鯖山峠入口の駐車場に着く。駐車場の奥に「たそがれ庵」という食堂が
  ある。ここでうどんでも食べればよかったと、後で後悔することになったが、この時はコンビニで買った軽食で我慢した。
  
郡境の碑 明治天皇碑 峠からの下りにある萩往還の石碑

 11:33 標高差60mほどを舗装された道で登り切り、郡境の碑が立つ鯖山峠に到着。鯖山峠は、市街地が一望できる見晴らしの
  良い所で、当時は二軒の茶店が営業し、旅人の疲れをいやしていました。頂上に登る峠道の左側には、享和二年(1802)に建て
  替えられた四角柱の郡境の碑がある。「従是北吉敷郡」・「従是南佐波郡」と刻まれ、ここで山口市から防府市に入る。
  
 
下は佐波山トンネル おいでませ  防府市 右田が岳を左に見て・・・右田市
■鯖山峠〜防府天満宮  5.7km ルートマップはこちら

 11:36 鯖山峠峠を下り始める。峠を越えた左側に、明治天皇が騎馬で峠を山口に向けて越えられた石碑が二基立っている。その入口
  には萩往還の石碑と「歴史の道 萩往還」の標識があり、三田尻御茶屋まで7850mと書かれている。
  佐波山トンネルを左下に見ながら、広い道を下って国道に合流する。左手に右田ヶ岳を見ながら進むとおろく塚がある。その昔、茶店
  に「おろく」という美人の娘がいて、多くの若者たちが足繁く通っていた。一人の若侍が思いを伝えたものの断られたことに腹を立て、
  一刀のもとに切ってしまった。その霊を慰めるために作られたのが「おろく塚」です。
  
おろく塚で国道から旧道へ 萩往還・右田市の説明板 山陽自動車道と国道2号線のガード

 12:00 おろく塚を後にし、国道を渡ると左手に「勝坂砲台跡」の説明板がある。この付近は明治3年の脱退騒動で最大の激戦地に
  なったという。ここから、国道を左に入って萩往還旧道を進む。旧道に入ったところが勝坂砲台跡。民家の中に土塁が残っていると
  いうことだが、見逃して素通りしてしまった。
  萩往還は、江戸時代「家数45軒」と言われた右田市(みぎたいち)の集落の中を進む。山陽新幹線を潜ると道の両側で向き合って
  いる同じような寺がある。。(乗円寺と真宗寺 どちらも浄土真宗のようだけど・・?)
  この寺の先の十字路は、かっては三叉路で石州街道との分岐点だったが、藩庁が山口に移り各地に関所を設けて他国の人が山口
  へ入ることを規制した結果、石州街道と萩往還は山口を通れなくなり、石州街道は迂回路が設定されたため右田市を通らなくなった。
  山陽自動車道と国道2号線のガードを続けて潜り、佐波川の堤へ。
 
下右田大渡一里塚跡 本橋から  佐波川と右田が岳 旧山陽道合流点

 12:32 佐波川の堤の下にある下右田大渡一里塚跡を通過。萩の唐樋札場から11番目の萩往還で最後の一里塚である。看板には
  昔あった塚木には「従三田尻船場壱里」・「従萩唐樋札場十一里」とあったとある。
  堤に上がり本橋を渡る。ここは、佐波川の渡しの一つ、大渡だ。享保九年(1724)に木橋が架けられましたが、洪水のたびに流出し
  たため、寛保二年(1742)六艘の船を並べて板を渡した総延長約三十八メートルの「船橋」が作られました。船橋は昭和16年8月
  まで約200年間存続しました。そして昭和26年まで木橋となり、昭和29年にコンクリート製の橋になりました。
  蓮を渡り、右手から堤防を下り、小路を進むべきところを、注意力散漫になり、そのまま大路を直進してしまった。
  500m先で萩往還に合流し、さらに350m進むと山陽道との合流地点に至る。
 
合流地点の説明板  山陽道の説明 防府天満宮の鳥居

 12:53 合流地点を左折し、防府天満宮の前までは山陽道と一緒だ。山陽道を東に進む。門前町として栄えた宮市には、藩の指定
  旅館である本陣や脇本陣があり、本陣兄部家の建物や庭の一部からは、往時のよすがを偲ぶことが出来る。
 13:05 防府天満宮に到着。
 
防府天満宮本殿 参道の階段から 楫取素彦・美和子終焉の地
■防府天満宮〜三田尻茶屋跡 3.6km  ルートマップはこちら

 13:43 天満宮参拝を終え、防府まちの駅うめてらすでビールで昼食。
  萩往還は防府天満宮から真っすぐに南下している。大鳥居の前が高札場所で山陽道との分岐点だ。天神通りのアーケイドをを通り
  JR山陽線の高架下を進むと左手に天御中主神社と車塚古墳がある。更に南下していくと楫取素彦・美和子終焉の地がある。
   
住吉神社・石造灯台 三田尻第二公園の桜 終点・三田尻茶屋跡(マウス ON)

 14:05 楫取素彦・美和子終焉の地を過ぎ、防府高校を右に見て直進し、明覚寺を回り込むと・・・・・終点間近のここで重大な間違い。
  ここから先で道路工事中。交通整理のおじさんにせかされるまま法円寺の角を左折しないで進んでしまった。大きな道の向かいには
  協和発酵の工場が立ちはだかっている。間違いはまた、次の間違いを呼ぶ。広い道を左折し、次の信号で更に左折すれば良いのに
  何故か右折したしまった。200mほど進み、やっと気が付いて、川沿いの道を引き返していると石造りの灯台に出くわした。
  この住吉神社の石造灯台は、萩藩の水軍の本拠地である御船倉に続く入川の河口に文久3年(1863)に建てられたものだ。
  結局、終点の三田尻茶屋跡は判らず、三田尻第二公園にある交番のお世話になった。
 15:11 何とか終点の三田尻茶屋跡・英雲荘にたどり着いた。 三田尻御船倉跡・600mの案内があったが、すでにその気力なし、
  ここを終点に決める。
  
  今日の歩行距離 22.2km
 
1 萩城下町   2 萩城跡〜佐々並市   3 佐々並市〜山口駅   4 山口駅〜三田尻茶屋跡
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