萩市内を縦断する萩往還で、最も萩往還らしさを感じるコース。
萩城下を出て、街中を抜けると静かな山裾の道なる。国道を潜ると山道になり、忰坂に一里塚を左手に過ごすとやがて道の駅
萩往還・松陰記念館に着く。
道の駅から鹿背坂の急坂を超えると明木に出る。明木川のほとりをのどかさと心地よさを感じながら歩いていくと明木市の
乳母の茶屋がある。
明木市の石州赤瓦葺きの家並が美しい町並みを抜け、旧往還道の難所の一つであった一升谷、標高差300mの石畳の道を
登り難所を超えるとのどかな釿切の田園地帯となる。田園地帯に別れを告げ横木の階段を上ると七賢堂の展望台に達する。
展望台を後にし、中ノ峠を越えると川沿いの石畳を進むと落合の休憩所がある。休憩所から最後の峠、千持峠を越えると
佐々並市の家並が見えてくる。 |
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萩城跡 (本丸門跡) |
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 |
城下町御成り道 |
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■萩城跡〜唐樋札場跡 2.2km ルートマップはこちら
8:20 萩城本丸門跡を出発。いよいよ萩往還の旅の始まりだ。旧厚狭毛利家萩屋敷長屋の前を左に折れると東に向かって
一本道だ。
天樹院墓所の横を通り、武家屋敷群を通りすすむと萩博物館がある。田中儀一像の前から外堀を渡ると、三の丸を出て
萩城下町だ。
菊屋、旧久保田家の間を通り、さらに御成り道を進み、田町商店街のアーケイドを抜けると唐樋札場跡に着く。 |
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■唐樋札場跡〜萩駅舎 2.1km ルートマップはこちら
8:50 唐樋札場跡を出発。唐樋札場跡は萩往還、赤間関街道、石州街道の起点で幕府や藩からの御触れが掲げられた高札
のあった場所で、ここから萩往還の始まりだ。
唐樋札場跡からは橋本通りを真っすぐ南下。南から城下に入る唯一の道である橋本橋を渡り、更に南下を続けると金谷神社
がある。ここは城下町の表玄関ともいえる大木戸があった所。番所には常時番人がをおき、日没には治安維持の為城下へ
の出入りは差し止められていた。また、萩の人々はこのあたりまで旅人を見送りにきていたらしい。
金谷神社を後にすると萩駅舎までは400m。5分ほどで着く。9:18 萩駅着。 |
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■萩駅舎〜涙松の碑 2.0km ルートマップはこちら
9:28 萩駅を出発。駅舎は国の登録有形文化財で鉄道開通時の姿で現存する数少ない建造物です。
駅を出て、国道に上がった途端、道を失い、暫く国道上を歩いた後、側道に下りて散歩中のおじさんに道を尋ねる。「みな
さん よく迷われますよ。」とのこと。国道に上がった時点で要注意!
橋を渡った三叉路で萩往還に復帰。山沿いの道を進んでいくと道がカーブするところに涙松の碑と吉田松陰歌碑がある。
江戸時代、萩城下から山口へ通じる藩主御成街道は、大屋から左に折れるので城下が見えるのもここが最後です。松並木
の間に見え隠れする萩を見返り、別れの涙を流すというので、ここの街道並木を「涙松」と呼んでいます。幕末、吉田松陰
が安政の大獄で江戸に送られるとき 「かえらじと 思いさだめし旅なれば 一入(ひとしお)ぬるる涙松かな」と詠ん
で一躍有名になりました。 |
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■涙松の碑〜道の駅「萩往還」 1.3km ルートマップはこちら
10:00 涙松跡を過ぎると、梅はすでに終わり桜が満開の萩往還梅林園を右手下に見ながら緩やかに登っていく。涙松跡から
10分程歩くと萩有料道路(県道32号線)を潜り、忰坂(かせがざか)一里塚に向かう。唐樋札場跡から最初の一里塚だ。 |
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竹林 |
栗山孝庵女刑屍体腑分之跡の碑と石地蔵 |
道の駅「萩往還」 |
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一里塚は往還道の左手高台にある。萩道路と並行に林の中を歩き、竹林を登り切った辺りに大屋刑場跡の碑、竹林に少し
入ったところに女刑屍体腑分之跡の碑と石地蔵が立っている。
10:28 道の駅萩往還到着。 萩城跡を出発して約2時間の行程。 |
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吉田松陰(中央)・高杉晋作・久坂玄玄瑞 |
木戸孝允(中央)・山形有朋・伊藤博文 |
天野清三郎・野村和作
(マウス ON 品川弥次郎・山田顕義) |
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■道の駅に立つ維新の志士象
道の駅には松陰記念館(入場無料)と十人の志士の像がある。
記念館の正面には、日本の夜明けを指さしている松陰が、その双璧である鎧姿の高杉晋作(左)・久坂玄瑞(右)を従えて
いる。他には木戸孝允(中央)・山形有朋・伊藤博文、天野清三郎・野村和作、品川弥次郎・山田顕義といずれも維新を
代表する志士達である。
ここでゆっくり休憩し、飲み物と食べ物(何も無し、アップルパイにする)を調達。これから先は店も自動販売機も期待で
きない。 |
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道の駅の裏からレンギョウの咲く車道へ |
山道入口(鹿背坂) |
忰坂駕籠建場・茶屋跡 |
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■道の駅「萩往還」〜倅坂駕籠建場 0.5km ルートマップはこちら
10:45道の駅萩往還を出発。道の駅の裏から階段を上がり、車道へ。車道を150mほど行ったところに山道入口がある。
車道をそのまま進むと鹿背坂トンネルを通り鹿背坂休憩所に出る近道だ。鹿背坂隧道は長さ約182m・幅約4.2m・高さ
約3.9mの石造りのトンネルで国の有形文化財だ。
山道は横木の階段を施した急坂が伸びている。急坂を登り切ったところに忰坂駕籠建場・茶屋跡がある。参勤交代の殿様も
ここで駕籠を降ろして一息付いたことだろう。駕籠建場には殿様の駕籠を置く台、芝で囲ったトイレがある。
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椿の花を敷き詰めた街道を下る |
鹿背坂トンネルを振り返る |
鹿背坂休憩所 |
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■倅坂駕籠建場〜鹿背坂休憩所 0.5km ルートマップはこちら
11:00忰坂駕籠建場をあとにする。この先は長くて険しい下り坂。急坂を下り県道に降りると鹿背坂休憩所はもうすぐだ。
11:05 鹿背坂休憩所到着。 |
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■鹿背坂休憩所〜殉難三士の碑 1.3km ルートマップはこちら
11:05 休憩所を過ぎると左手に分かれ道がある。忰坂の谷へ下る道だ。参勤交代の際には千人以上もの人が通行したと
云われる萩往還であるが、道幅はおよそ四メートル、平地はともかく坂道を下るのも楽ではない。
道の脇を流れる水音に耳をすまし、木立に囲まれた下り坂を暫く行くと、先の尖った岩が路傍に露出しているのが見える。
これは烏帽子岩と呼ばれる岩で、道行く人の道標として古くから記録に残されている。この岩で殉難三士(権現原に碑が
ある)のうちの2人の首がさらされたと伝えられている。
烏帽子岩からは古道の雰囲気を味わいながら、忰坂の石畳を踏んで下っていく。 |
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11:16 坂を下り切り、森を出ると間もなく明木川(あきらぎがわ)に突き当たる。しばらくは川土手を心地よい風に
吹かれながら、のんびりと歩いていく。10分程行くと土手下に殉難三士の碑がある。藩内の派閥争いの仲裁にあたった
4人の藩士の内3人が、この地明木権現原で命を落とし、2人の首が忰坂の烏帽子岩に曝されたと伝えられています。 |
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■殉難三士の碑〜明木市・乳母の茶屋 1.2kmルートマップはこちら
10:27 殉難三士の碑を後にし、その先の県道を潜ったところにも吉田松陰の足跡がある。 松陰が下田に停泊中のペリー
の船で密航しようとして捕らえられ、萩に護送されてきた際に詠んだ漢詩の碑が立っている。
山際の道を川に沿って進んでいくとやがて現在の明木橋に至る。川沿いの萩往還と明木橋の位置は現代になって微妙に
変更されており、現在の道はかってのものとは若干異なっているという。 |
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11:43 明木橋を渡って、明木市(あきらぎいち)に入る。明木市は萩往還沿いの宿場町として栄え、石州瓦の赤い屋根の
家々が連なり当時の風情が感じられる。
かってのお茶屋の跡地にある無料休憩所の「乳母の茶屋」に立ち寄り休憩。道の駅で仕入れたアップルパイとバナナで
腹ごしらえをする。この宿場町には店も無く、自動販売機も無い。持ってきた飲み物が生温かくなり、この先が心配になる。 |
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■明木市・乳母の茶屋〜根の迫休憩所 3.7km ルートマップはこちら
12:10 乳母の茶屋を出発。街並みを通り、「一升谷入口」と書かれた黄色い看板の商店・倉床商店を左に折れて一升谷
へ向かう。
萩往還の人気スポットの一つ「一升谷(いっしょうだに)。歩きながら「一升の炒り豆がちょうど食べ終わる」のがその
名の由来と言われる。約4kmで標高差300mを登る急な坂道である。
左折して暫く行くと、途中に萩往還から右へ分かれる小道がある。この道は赤間関街道で、下関に通じる道であった。
赤間関街道分岐を過ぎ、国道262号線の下を潜ると川沿いを進む山道になる。川のせせらぎや鳥のさえずりを聞き
ながら、一升谷の上り坂をしばらく進むと、道の左側に「一升谷の石畳」がある。「乳母の茶屋から2km、一升谷
(8合目)へ2km」の青い標識が立っている |
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町田梅之進自害の地 |
一升谷五合目 |
小さな滝を望むベンチ |
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12:36 一升谷の石畳を過ぎると、明治九年 萩の乱に加わり、その後県庁軍とのさなかに自害した町田梅之進自害の地
がある。
山道は川に沿ってまだまだ続く。五合目を過ぎ、小さな滝を望むベンチで谷を渡る涼しい風を受けながら小休止。
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12:55 5分間の休憩で元気を取り戻しベンチを出発。7合目の「彦六の道」分かれを右手に過ごすと坂は幾分傾斜を
増してくる。
8合目を過ぎ、登り坂もそろそろ終わりに近づくころ、根の迫の石橋を渡り、つかず離れず道に沿っていた川に別れを
告げ、五文蔵峠へ向かう。石橋を渡り、石畳の道を1分も歩くと根の迫休憩所がある。3:15 根の迫休憩所到着。
彦六の道とは、萩開府の際、築城に功績のあった古泉城の彦六が通った道で、これより先、2.3kmの古戦場(古泉城)
集落内に遺徳をたたえる石碑が建立されている |
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一升谷九合目・五文蔵の石畳 |
五文蔵峠(一升谷十合目) |
釿切の石畳 |
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■根の迫休憩所〜七賢堂展望台 1.7km ルートマップはこちら
13:30 根の迫休憩所を出発。五文蔵峠(一升谷十合目)までは600mの距離だ。五文蔵の石畳の坂を登り切ると
一升谷の最高地点のある五文蔵峠(一升谷十合目)は目の前だ。
峠を越え、釿切(ちょうのぎり)の石畳を下ると釿切の集落に出る。 |
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ガードを潜った先が釿切のバス停 |
御駕籠建場跡と桜茶屋の看板 |
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13:45 国道262号線のガード下を潜ると釿切のバス停がある。左の道は国道262号線へ上がる道だ。釿切の集落の
中ほどに御駕籠建場跡と桜茶屋跡の看板が立っているが、いまではその痕跡はない。 |
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13:57 県道と別れ峠道へ |
急な横木の階段を登っていく |
14:12 七賢堂の展望台(マウス ON) |
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13:57 集落の外れで県道と別れ峠道へ。イノシシ避けの柵を開け、急な横木の階段を折り返しながら登っていくと七賢堂
の展望台がある。はるか萩沖の漁火が見えると、あるがあまり展望は良くない。竹林公園となっている展望台下の東屋で
休憩する。ほぼ1時間おきに休憩所があるのが有難い。 |
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14:25 国道から往還道へ |
新茶屋の石畳 |
美しい里山の道 |
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■七賢堂展望台〜落合休憩所 3.0km ルートマップはこちら
14:17 竹林公園を出発。公園前を走る国道を横切り、中ノ峠を越えると三叉路から再び石畳の萩往還に入っていく。
満開の桜の下、急な石段を下ると、小川に沿って良く整備された石畳の道が続いている。石畳の道を15分歩くと、再び
国道を450mほど歩き、また山道へと入っていく。里山の道端では、冬の眠りから覚めたシマヘビが2匹、日向ぼっこ
をしている。
山口から萩まで歩くという人に出会った。街道で出会った唯一の人だ。「萩には暗くなって着くな!」と言っていた。 |
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14:57 落合の石橋 |
椿の花が路上にも |
15:05 落合休憩所(マウスON) |
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14:57 山道から落合川の川沿いの道になると落合の石橋がある。橋幅1.7mの山口県特有の刎橋(はねばし)形式の
橋で国の登録有形文化財である。
落合橋を渡って、今日最後の峠、千持峠へ向かう。 15:05 峠の手前にある落合休憩所に到着。佐々並市の「往還ふれ
あい塾までは1.4km」の案内がある。 |
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千持峠 |
佐々並への近道? |
久年集落から佐々並の街が・・・ |
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■落合休憩所〜佐々並市・往還ふれあい塾 1.4km ルートマップはこちら
15:15 最後の休憩をとって、佐々並目指して出発。千持峠までは2〜3分の距離だ。
千持峠から急坂を下り、傾斜の緩くなった林道を進み、やがて佐々並への分岐を下る。林をでるとと久年集落だ。高みから
佐々並の中心街が見えてくる。石畳の道を下り、佐々並の中心街へ通じる県道に降り立つ。
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佐々並市街道筋 |
旅籠 はやし屋(マウス ON) |
往還ふれあい塾 |
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15:37 佐々並橋を渡ると宿場町の面影が色濃く残る街道に出る。15:45 はやし屋旅館に投宿
佐々並市は明木市とともに萩往還の宿場町として栄えた集落である。萩の乱で焼失したものの、佐々並橋を通過し、お茶屋
跡に至る道筋には往時の面影が残っている。
今夜の宿はそんな宿場町にただ一軒残るはやし屋旅館だ。また、佐々並名物のささなみ豆腐は去年の暮れ(2017年)に
営業をやめたそうです。その豆腐屋さんははやし旅館の前にある。そのため、豆腐料理ははやし屋さんで予約のみ作る
そうです。予約をしとけばよかった! そんな気持ちが通じたのか、豆腐屋さんのおかみさんとともにおいしい佐々並豆腐
を作ってくれた。
温かい豆乳と作りたての豆腐は絶品だった! (明日の客用かも・・・)
宿は貸し切り、大きな広間でぐっすり眠る。
いつまでも佐々並名物、一軒宿と佐々並豆腐を守ってくれるように祈りながら・・・!
今日の歩行距離 20.9km |
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1 萩城下町 2 萩城跡〜佐々並市 3 佐々並市〜山口駅 4 山口駅〜三田尻茶屋跡 |