おしどり登山隊                    熊野古道ー中辺路ーへ熊野古道(2)へ 風便りへ ホームへ 
2019年5月13日  紀伊田辺ー滝尻ー不寝王子ー熊野高原神社ー大門王子ー十丈王子ー大坂本王子ー近露王子
 平安貴族の藤原宗忠が「はじめて(熊野権現の)御山の内に入る」と記した滝尻王子からいよいよ熊野三山の聖域に入る。
 滝尻王子からは険しい山道に入り、番号道標・王子跡・一里塚跡をたどりながら、幾つかの峠を越えて標高差約600mの
 最高地点上多和茶屋跡へ。上多和茶屋跡から一気に下り、牛馬童子の像を越えると、古道の宿場町として栄えた近露へ
 と入る。  
滝尻橋 熊野古道館 滝尻王子
■ 紀伊田辺〜滝尻王子
 5月12日 東広島駅9:18〜9:58福山駅10:03〜11:04新大阪駅11:15〜13:26紀伊田辺駅〜かんぽの宿紀伊田辺
  東広島駅に車を駐車(500円/日)し、紀伊田辺に向かう。新大阪駅で駅弁を買って、”特急くろしお”の車内で食べよう
  と思ったが、新大阪での乗り換え時間が少なく、買いそびれてしまった。折角2時間もある列車の旅の楽しみが無くなって
  しまった。
  田辺駅はごく普通の田舎町の駅だ。駅舎の隣に観光案内所があり、熊野古道マップを入手する。立派な地図帳で英語版も
  用意してある。次々と訪れるのはYOU(外国人)ばかりだ。ここのゲストハウスに泊まり熊野古道を歩くのだろう。
  遅い昼食を採った後、駅前にある弁慶の像の後ろから送迎バスで、かんぽの宿に向かう。弁慶は田辺で生まれたと言われ
  ている。
 5月13日 朝食抜きで、6時前にタクシーで宿を出、コンビニに寄って朝食と昼食を買い入れる。
  6:25 紀伊田辺駅から、YOUでほぼ満員になった始発バスに乗り滝尻へ。約30分で滝尻バス停に着いた。
   滝尻橋を渡ると右手に熊野古道館がある。開館は9時だが、トイレは使える。 左手には滝尻王子が見える。句碑が立ち
   並ぶ、境内の入口の休憩舎で朝食。出発準備を整える。  
王子社の横から登り始める すぐに急坂になる 岩のゴツゴツした急坂
■ 滝尻王子〜不寝王子       ルートマップはこちら(滝尻王子〜高原霧の里休憩所)
 7:20 滝尻王子を出発。 いよいよ熊野三山の聖域に入る。 滝尻王子は熊野九十九王子社のうち最も重要視された
  社格の高い五体王子社に数えられている。王子社にお参りして、社の横にある熊野古道起点の道標から登り始める。
  ここから最高地点の上多和茶屋跡まで約600mの標高差があり、いきなりの急坂だ。岩のゴツゴツしたジグザグの
  急坂が続く。 
胎内くぐり 乳岩 不寝王子
 7:32 胎内くぐりの岩に着く。 説明板には 「熊野への道は潮見峠越えが主流になって、室町時代以降この剣ノ山を
  登る熊野参詣者はいなくなったが、土地の者は春秋の彼岸には滝尻王子へ参拝し、その後この岩穴をくぐって、山の
  上にある亀石という石塔に参ったという。この岩穴をくぐることを胎内くぐりといい、女性がここをくぐれば安産する
  という俗説がある。」 とある。入口まで行ってみるがとても潜れそうにないのでパスする。
  そのすぐ先に乳岩がある。これは奥州の豪族藤原秀衡が夫人同伴で熊野詣に来た際、ここで夫人が急に産気づき、
  この岩屋で出産したという。夫婦は赤子をこの地に残して熊野へ行ったが、その子は岩から滴り落ちる乳を飲み、狼に
  守られて無事だったので奥州へ連れ帰ったという伝説があるそうだ。
 7:40 不寝王子跡に着く。ここは中世の記録には登場しておらず、江戸時代、元禄年間に出てくると説明されている。
  山賊の見張りを寝ずにしたということから名前が付いたという説もあるが、ネズの語源はあきらかではないという。 
1番道標 岩の急坂が続く
■ 不寝王子〜剣ノ山    ルートマップはこちら(滝尻王子〜高原霧の里休憩所)
  不寝王子跡の傍に1番道標が立っている。滝尻王子から番号道標が500mごとに立っていて、目印になって助かる。
  ジグザグ道はここで終わるが、2番道標までは、尾根伝いの急な道が続き、古道らしい木の根道を登っていく。若いYOUの
  カップルにあっという間に抜かれた。   
古道らしい木の根道 2番道標 剣ノ山山頂
 8:10 2番道標を過ぎ、剣ノ山山頂に着く。「剣ノ山経塚跡」が説明板とともにある。剣ノ山は古くは神聖な場所とされて
  おり、ここから熊野本宮にかけて九品の門が立ち、ここには最初の下品、下生の門があったという。この経塚跡は経典
  を経筒に入れ、それを壺に入れて地中に埋めたところだ。
  「剣ノ山371m」の標識が架る平らな山頂でベンチ代わりの木に腰掛け小休止して息を整える。休んでいる間に元気の
  いい年配の人が何人か追い越していった。 
平坦な道 展望台分岐は右手の熊野古道へ
■ 剣ノ山〜針地蔵尊  ルートマップはこちら(滝尻王子〜高原霧の里休憩所)
 剣ノ山を過ぎると緩やかな下り坂になる。新緑が気持ちいい道を進んでいくと展望台分岐に出た。展望台への道の方が
 よく踏まれているが展望台には向かわずに右手の熊野古道を直進する。しばらく行くと展望台からの道が合流してきた。 
4番道標 杉並木が美しい 石畳の下り
 横木の階段を下り、4番道標を過ぎると杉並木が美しい木漏れ日の道を進んでいく。 誰もいない静かな道を所々に残る
 石畳を踏みながら下っていくと車道に飛び出す。 
車道を横切り古道へ 石畳の登り 針地蔵尊
 車道を横切り、道標に従って再び山道へ。いきなりの急な階段を登った後は石畳の道を緩やかに登っていくと右手に
 針地蔵尊がある。歯が痛い時、このお地蔵さんに願をかけ、願いが叶うと針を奉納したという。
6番道標 古民家カフェ
■ 針地蔵尊〜高原霧の里休憩所  ルートマップはこちら(滝尻王子〜高原霧の里休憩所)
 針地蔵尊から先は急な横木の階段を登って進むが、テレビ塔のある所まで来ると平坦な道になる。6番道標を過ぎ、樹林帯
 を抜けると右手に夫婦地蔵尊を祀る祠があるがこれは新しいもののようだ。あたりは開けて、農耕地や集落跡も見える。
 古民家カフェの前を通り過ぎると舗装路に変わる。
 「高原熊野神社へ0.4km」の案内を過ぎると集落の中に入っていく。熊野参詣道から少し右に入った所に高原熊野神社
 はある。
高原熊野神社 御神木の楠の大木 高原霧の里休憩所
 9:25 高原熊野神社に到着。この朱塗りの社は応永12年(1405年)に建立され、天文元年(1532年)に建て替えられた
  もので熊野古道最古の神殿ということだ。神社の前を奥に進むと樹齢1000年は越えると思える御神木の楠の巨木が
  数本聳えている。その存在感には圧倒される。
  高原熊野神社を後にし、すこし下ると高原霧の里休憩所がある。大きな駐車場と休憩所・トイレが完備してある。
  YOUの一団が観光を終え、バスに乗り込んでいる。休憩所の前では日本の観光客が準備体操しており賑やかだ。YOU
  には鯉のぼりが珍しいのかしきりにシャッターを切っていた。 
石畳の道 旧旅籠通り カフェの前の水田
■ 高原霧の里休憩所〜大門王子  ルートマップはこちら(高原霧の里休憩所〜十丈王子)
 熊野古道は休憩所の前から石畳の坂を登っていく。この辺りは旧旅籠通りになっていて、はま屋や亀屋といった昔の屋号を
 掲げた家が並んでいる。熊野参詣道が潮見峠越えに改まった南北朝期以降、高原は熊野参詣や西国巡礼の宿場として
 賑わうようになったらしい。 
8番道標 緩やかな車道 車道から山道へ
 旧旅籠通りから続いていた石畳の道は8番道標で終わり、緩やかな舗装路になる。舗装路の終点に庚申塔が立っており、
 そこから山道へと入っていく。
 また、「古道散策のみなさまへ ここより近露王子までは民家がなく、連絡の方法がありません。所要時間は約四時間です
 ので、出発にはお気をつけください。 中辺路町」の注意看板が立っている。  
庚申さん 石畳の道 一里塚の休憩舎
 山道はこの先石畳の道となり、だらだらと登っていく。これが案外キツイ!。 庚申さんから10分で一里塚の休憩舎に
 着く。一休みだ!
 一里塚の休憩舎を過ぎると比較的平坦な道となり、右手から延びてくる尾根を回り込み、傾斜の増した坂を登ると、
 一里塚から20分で高原池を通過する。 
高原池 大門王子へ 0.1kmの標識 大門王子
 高原池を過ぎ、5〜6分で「大門王子へ 0.1kmの標識」がある。横木の階段を登っていくと 10:55 大門王子
 着く。この王子は中世の記録には登場しておらず、王子の名の由来はこの付近に熊野本宮の大鳥居があったことに
 よるもので、鳥居の付近に王子社が祀られ、それにちなんで大門王子と呼ばれたのだろうということだ。
 ここに高原熊野神社で見かけた若い女性のYOUが休憩していた。ロスから来たと言っていた。 
12番道標までの登り 細い尾根道は造成道か? 十丈峠の休憩広場
■ 大門王子〜十丈王子  ルートマップはこちら(高原霧の里休憩所〜十丈王子)
 YOUをのこして大門王子を出発。10分ほどで12番道標を過ぎると、あとは快適な下り坂だ。
 11:30 十丈峠の休憩広場に着く。
 広く切り開かれた広場は新緑に囲まれ気持ちが良い。ここで昼食にする。コンビニで買ったおにぎりを頬張る。 
十丈王子跡 小判地蔵 15番道標
■ 十丈王子〜大坂本王子  ルートマップはこちら(十丈王子〜大坂本王子) 
 広場の上に十丈王子跡がある。この王子は平安・鎌倉時代には重點王子として記されているが、江戸時代には十丈峠に
 あることからこの名前で呼ばれるようになったと説明されている。
 十丈王子から10分余り進むと小判地蔵が右手に佇んでいる。嘉永7年(1854)に飢えと疲労で小判をくわえたまま、ここ
 で倒れたという巡礼を祀っている。 地蔵には「道休禅定門」という戒名が彫り付けてあり、豊後国(大分県)有馬郡の人
 だったという。たぶん伊勢と熊野に参って、紀三井寺へ向かう途中になくなったのだろうとされるが、昔の旅はこのように
 命がけだったのだろう。 
悪四郎屋敷跡 崩落個所 16番道標
 15番道標の先に悪四郎屋敷跡の看板がたっている。 説明文には「十丈の悪四郎は伝説上の有名な人物で、力が強く、頓智
 にたけていたといわれる。悪四郎の悪は悪者のことではなく、勇猛で強いというような意味である。江戸時代の「熊野道中
 記」の一書に十丈の項に「昔十丈四郎と云者住し処なり」とあり、それがここだとみられている」とある。
 悪四郎屋敷跡の先に、台風で崩落した古道を直す工事が行われており、山手に迂回路が設置した会った。崩落地点を過ぎ
 ても快適な下り坂が続いている。 
17番道標 上多和茶屋跡の看板 三体月分岐
 一里塚の道標を右手に見て、17番道標を過ぎると一旦下り、次には九十九折れの急な上り坂を登ると今日の最高地点標高
 約680mの「上多和茶屋跡」の看板が立っている。茶屋跡を後にすると18番、19番道標と快適な下り坂を快調に飛ばして
 いくと「三体月伝説」の案内板が立っている。高尾山の山上には陰暦11月23日の夜に東の空に三体の月が現れるという伝説
 があったので、その日はここに大勢の人が集まり、お供えをし、心経をくって月の出を待ったという。上多和、悪四郎、槇
 山にも同様の伝説が残っているという。
 案内板の先で道は二股に分かれている。右手の道は三体月鑑賞地への道で、左に下っていく道が熊野古道だ。
 石畳の残る道を下っていくと林道に合流する。
逢坂峠の石碑 林道から古道へ 21番道標
 合流地点の右手に逢坂峠の歌碑が立っている。先代が茶屋を営んだ杉中花仙の歌。
 林道から再び古道に入り、21番道標からは坂尻の谷を標高差120m程一気に下っていく。
やっと山を下りてきた 木橋を渡る 大坂本王子跡
 急斜面を下り終え、傾斜が緩むとホッとする。「大坂本王子へ 0.1km」の標識に元気をもらい、もう一度坂を下って
 木橋を渡り、沢に沿って進む。大坂(逢坂)は近露側から登るには急で大坂と呼ばれている。
 13:10 大坂本王子跡
に着く。大坂(逢坂峠)の麓にあるところからこの名が付いたということだ。江戸時代には「大坂
 王子」、「相坂王子」とも記され、寛政10年頃には小社があったという。
 ここで休憩していると、例の若いYOUが追い付いてきた。YOUはみんなスタンプが好きだ。スタンプを押してはスマホで
 撮影している。インスタグラムに投稿するのだろう。 
22番道標 石積みの残る道 右手に道の駅を見て
■ 大坂本王子〜近露王子  ルートマップはこちら(大坂本王子〜近露王子)
 大坂本王子跡を出ると道は川に沿った平坦な道で、木橋を2ヶ所渡り、石積み跡を過ぎると311号線に接する。右手には
 「道の駅 熊野古道中辺路」があり、ここには牛馬童子口バス停がある。休憩には立ち寄らず、標識に従って階段を上る。 
舗装路を歩く 24番道標 牛馬童子像
 一旦、舗装路に出て、150m程歩き再び古道に戻る。24番道標を過ぎ、一里塚跡の石碑を後にすると「箸折峠の牛馬
 童子
」がある。 箸折峠といわれるこの峠は花山法皇が御経を埋めたところといわれ、またお食事の際、カヤの軸を追って
 箸にしたので箸折峠、カヤの軸の赤い部分に露が伝うのをみて、これは「血か露か」と尋ねられたので、この地を近露
 (チカツユ)というようになった。ここの宝篋印塔は鎌倉時代のものと推定され、石仏の牛馬王子は花山法皇の旅姿、そば
 にある石仏は役行者像と説明されている。
25番道標 車道に一旦出て、再び古道へ
 箸折峠を越えると急坂を下っていく。丸い自然石の石畳の道は足に堪える。途中からくるぶし辺りが靴に擦れて痛くて、
 この石畳は歩きにくくて仕方がない。ゆっくり気を付けながら下っていく。ようやく人家がある所まで降りてきた。
北野橋 近露王子 湯の峰温泉
 14:30 近露王子  北野橋を渡れば近露王子だ。 雷が鳴りだし、空には怪しい雲が広がり、雨も落ちてきた。継桜王子
  まで行く予定だったが、この時間では野中一方杉バス停に16:10までに着くのは無理なようだ。今日はここまでと決
  めてビールを飲んでいると猛烈な雷雨が襲ってきた。行かなくてよかった!
  どこからかYOUが次々現れ、先を目指して行く。
  宿場の民宿はYOUに占拠されているようだから、YOU達は今夜の宿にむかっているのだろう。大門王子にいたYOUも雨
  の中やってきた。
  16:04 YOU達ばかり乗せたバスで湯の峰温泉に向かう。今夜の宿のバス停を乗り過ごしてしまったが引き返して
  きた同じバスで後戻り、無事今夜の宿 湯の峰荘に着いた。 
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