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2019年5月14日 近露王子ー継桜王子ー小広王子ー熊瀬川王子ー迂回路ー三越峠ー迂回路ー発心門王子
 近露王子を出発し、楠山坂を登って継桜王子へ。この付近には、野中の一方杉や秀衡桜等多くの見所が点在している。
 継桜王子から小広王子までの間は比較的平坦な旧国道311号線を歩いていく。小広王子からは、いよいよこのコースの
 ハイライト、草鞋峠・岩神峠・三越峠への急峻な道。途中途中に点在する王子社や清流を眺めながら進んでいく。
 三越峠から急坂を下り林道に出るが、船玉神社に
 下ることは無く、迂回路の舗装路をひたすら歩き続け発心門王子へと向かう。 
近露王子跡 27番道標 楠山坂登り口
■ 近露王子〜継桜王子       ルートマップはこちら(近露王子〜継桜王子)
 今日は当初の計画を大きく変更することにした。当初は小雲取越も歩く予定だったが、昨日が近露迄しか歩けなかったので
 本宮大社までの距離が26kmも残ってしまった。これを10時間(始発のバス湯の峰6:13〜6:43近露、最終バス本宮
 大社16:40)で歩くのはとても無理なので、今日は近露から発心門王子まで歩くことにして小雲取越は断念する。
8:29 湯の峰出発 宿で朝食を食べ、弁当を持ってバスに乗る。YOU達で超満員だ。忘れ物をしたオランダのYOUに、宿の
 人がバスを追いかけて、無事届けてくれるハプニングもあり、楽しいバスの旅は 8:59 近露到着で終わった。
9:00 近露出発 小雨の降る中、カッパを着て、傘をさして出発。小雨の降る熊野古道も趣があって良いと自分に言い聞
 かせて 歩き始めると右手に「伝馬所跡」がある。この辺りは近露道中といわれ、熊野街道の宿場として賑わった所で、
 江戸時代には十軒の宿屋があったという。伝馬所があったという丹田家が立っている。
 その先で道は五差路になっており、左手には「野長瀬一族の墓」の案内があるが、パスして熊野古道の標識に従って右手の
 道を進む。 左手に近野小学校を過ごし、その先の近野中学校を右手に見送るとやがて楠山坂の登り口に着く。
楠山坂の29番道標 舗装路に合流 日待供養塔
 楠山坂を登り始めると暑くなってきた。峠を越えて舗装路に合流したところでカッパを脱いで傘だけにするが、樹林の中
 では雨も気にならない。
 舗装路を左に曲がり、更に登っていくと日待供養塔などが並ぶ比曽原の集落に着く。。
31番道標 比曽原王子跡 32番道標
 集落の中を進んでいくが、ここはかなりの高地にあるようで眺めがいい。右方向には雨に霞んだ熊野の山並みが連なって
 いる。小高い比曽原地区を抜けると左手山の上に比曽原王子跡がある。かっては「手枕松」という銘木があったというが、
 今は近野神社に合祀され王子碑のみが寂しく立っている。
 その先で道は二股に分かれているので、左への坂道を登ると「一里塚跡」の石碑が立っている。
 [野中伝馬所跡」の案内板を過ぎると「継桜王子跡」がある。
継桜王子 大杉の洞(人が十分入れる大きさだ) とがの木茶屋
10:25 継桜王子跡に着く。継桜の由来は、天仁2年(1109)熊野に参詣した藤原宗忠が、その日記に{道の左辺に継桜
 の樹あり、本はヒノキでまことに稀有なこと」と記されたことによる。
 境内にある9本の杉の大木は枝が全て南を向いて延びていることから「野中の一方杉」と呼ばれている。
 王子跡の隣に「とがの木茶屋」があり、主人は外出中の案内があったが、中に入って休ませていただく。雨の中、傘無しの
 休憩は有難い。茶屋のなかには手作りの小物などが並べられて売られていた。ここの名物は茶粥だそうだ。
34番道標&秀衡桜(マウス ON) トイレ 35番道標、左手に安部晴明腰掛岩がある
■ 継桜王子〜熊瀬川王子       ルートマップはこちら(継桜王子〜熊瀬川王子)
 茶屋を後にすると「秀衡桜」がある。奥州の藤原秀衡夫妻が熊野参りをした際、滝尻の岩屋で出産し、その子を残して
 ここ野中まで来て、杖にしていた桜の木を地につきさし、子の無事をねがったとされ、その木が成長したのが秀衡桜だと
 言われている。明治の中頃まで継桜王子の社前にあり、古くから銘木として知られていた。明治の中期に植えられた
 何代目かの桜も切り倒され展示されている。
 綺麗なトイレを右手に過ごし、暫く進むと35番道標の向かいに「安倍晴明の腰掛け岩」がある。 
旧国道に合流 中川王子 小広王子
 旧国道に合流し、継桜王子から1km行ったところに「中川王子跡」がある。左にかなり登り返したところに紀州藩が
 建てたという王子碑が立つのみである。
10:55 新高尾トンネル休憩所に着く。舗装歩きにも疲れてきたのでここで休憩する。
 休憩所を出ると道は緩やかな上りになり、開けた右手には放置された畑や民家が見え、その下には小広トンネルも
 見えている。
 やがて小広王子口バス停への分岐があり、前方には熊野古道なかへち休暇村も見えてくる。営業はしていないようだが?
11:23 小広王子跡に着く。この王子は江戸時代以前には王子として登場していないという。その後土地の人が小広峠の
 上に祀った小祠がいつの間にか小広王子と呼ばれるようになったと考えられているということだ。左手階段の上に、上部の
 欠けた王子碑のみ。
 ここも近野神社に合祀された。
車道から古道へ トイレ
 40番道標の小広峠を越え、林道に合流し、左に採ると古道への下り道がある。石畳の残る道を下り、 舗装された林道に
 出ると立派なトイレがある。ここでトイレ休憩する。
ここからディープな古道の始まり 緑に囲まれた休憩舎 薄暗い古道
 林道を右に下っていけば小広峠バス停に出る。熊瀬川王子は林道を横切り山道へと入っていく。ここからがいよいよ
 このコースのハイライトの始まりだ。41番道標の立つ緩やかな道を下り、橋を渡ると緑に囲まれた休憩舎がある。そこを
 過ぎると薄暗い道を登っていく。
 古道の雰囲気が色濃く残る道は不気味で、古代の人達は如何ばかりだったかと思われる。
古道の雰囲気漂う道 熊瀬川王子分岐 熊瀬川王子跡
 地蔵尊を祀った祠を過ぎると道が二股に分かれていて、直進は「岩神王子へ」、左は「熊瀬川王子をへて熊野古道」と
 なっていたのでどちらに進むか迷ったが、地図を見ても熊瀬川王子はすこし上の方にあるようなので、左手の山を登って
 いった。小高い丘の上に説明板と王子碑が立っている。そのまま先に進むと、先程分岐した道に合流した。
一里塚 42番道標 草鞋峠
■ 熊瀬川王子〜迂回路起点       ルートマップはこちら(熊瀬川王子〜湯川王子)
 暫く進むと「一里塚跡」の石碑が立っている。当時の道で和歌山から28里(112km)あったことになる。以前は一里塚
 の松の株が残っていたという。峠に向けて九十九折れの急な上り坂が続いている。42番道標を過ぎると草鞋峠(わらじ
 とうげ)は近い。草鞋峠(標高592m)は西の小広峠、東の岩神峠に挟まれた峠で、江戸時代にはこの付近の山道は
 蛭降峠百八町といわれて山ヒルに悩まされたところだという。
43番道標 美しい杉林 女坂の下り
 草鞋峠からは女坂の下りとなる。女坂といっても九十九折れの急坂だ。昔は西の草鞋峠の坂を女坂(めざか)、東の岩神
 王子の坂を男坂(おざか)といい、その中間にあった茶屋を仲人茶屋と名づけたという。
女坂から林道へ 通行止め&右迂回路 熊野古道迂回路図
 女坂から林道に下りて、仲人茶屋から岩神王子への男坂となるのだが・。台風12号の被害で通行禁止。仲人茶屋跡・男坂・
 岩神王子・岩神坂・おぎん地蔵・一里塚跡(29里)はパスすることになる。(道標番号44〜50の間)
 迂回路を通ると、「蛇形地蔵まで約1時間30分かかります。」の看板も立っている。現在 12:30 だ。
 迂回路起点にある迂回路図を確認して川にそって下っていく。 
木橋を渡る
■ 迂回路起点〜湯川王子       ルートマップはこちら(熊瀬川王子〜湯川王子)

 林道を5分ほど下っていくと迂回路入口がある。標識には、このままずっと下っていくと道湯川橋バス停に0.6kmで行き
 着くと書いてある。湯川王子までは4.0kmとある。
 迂回路は距離的には少し長くなるだけだが、標高670m近くの岩上峠を越えることになる。木橋を渡った所にある伐採
 された木材に腰掛け腹ごしらえをしていると、上海から来たという女性の二人ずれのYOUがきた。小広王子から来たと
 言っていた。この後、彼女達に助けられることになるのだが・・・・・・。
鹿避けのネット 急坂の登山道 サワガニ
 沢に架る二つ目の橋を渡ると急な坂道になってくる。鹿よけネットを潜り、更に登っていると、雨に誘われたサワガニが
 あちこちに姿を見せている。
斜面に付けられた横木の階段 古道の雰囲気がある迂回路 やっと岩上峠だ
 急な坂道はさらに続き、横木の階段を上り切ると杉林の中へと入っていく。霧で霞んだ杉林が迂回路に古道の雰囲気を
 もたらしている。前方に稜線が見えだすと間もなく岩上峠だ。やっと登りがおわった!
岩上峠からの下り 林道に降りる 林道を歩く
 岩上峠で休んでいるとYOU達が追い越していった。しかしここからは下り坂だ。置いていかれることはない。
 岩上峠から下ること15分で林道に飛び出す。 更に林道を15分歩いて蛇形地蔵に着いた。
蛇形地蔵 橋を渡り湯川王子へ 湯川王子跡
14:15 蛇形地蔵に到着。標準時間1時間30分のところを1時間45分かかった。昼食休憩と岩上峠の休憩が余分か?
 蛇形地蔵はこの付近で出土した海藻の化石が蛇の鱗のようにみえることから、「蛇形石」と名づけられ、それを背において
 祀られているのでこの地蔵尊は「蛇形の地蔵尊を呼ばれ、明治22年の大洪水以前は旧岩神峠にあったという。昔、熊野を
 往来する旅人がこの峠で
 「ダル」という妖怪に取りつかれた倒れる遭難が相次いだため、寛政年間に岩神峠にこの地蔵尊を祀って旅人の遭難を防
 いだという。
 明治の大水害時には岩神峠から不思議な音が聞こえたため村人は避難して遭難を免れることができたので、その後この地に
 地蔵尊を迎えて祀ったということだ。
 案内標識に従い、右方向に採って橋を渡って進むと、開けた杉林の中、川の方向に向いて「湯川一族の墓」と書かれた矢印
 が立っている。左手に「湯川一族発祥の地」の石碑が立っており、この辺りが戦国時代に御坊平野を中心に勢力をふるった
 湯川一族の本拠地だったのだろう。
14:25 すぐ横に湯川王子跡がある。
三越峠への登り 三越峠の休憩舎 三越峠関所跡
■ 湯川王子〜発心門王子       ルートマップはこちら(湯川王子〜発心門王子)
 湯川王子跡をでると、次第に急な上り坂になり、ついには九十九折れの横木の階段をなって、急坂を登っていく。登り切り
 舗装路に出るとその先に三越峠関所跡の門が見え、更に先に休憩舎が見えている。。
 休憩する時間的余裕は無いが、堪らず休憩舎で休憩する。YOU達は休憩せず関所の門を潜っていった。
54番道標 56番道標 再び迂回路図
15:00 三越峠を出発。発心門王子バス停の最終バス16:23まで1時間23分しかない。古道マップの標準時間は1時間17分
 だ。
 三越峠関所の門を潜ると急な下り坂となる。上海のYOU達を追いかけて階段の急な坂を下っていくと林道に出る。56番道標
 辺りでやっと彼女らに追いついたが、その先で再び想定外の事態に・・・。船玉神社への道が通行止め。再び迂回路だ。
 万事休す!かと思ったが、彼女達は近道だといって喜んでいる。果たしてどちらか? 
雨に煙る熊野山地 発心門王子 発心門王子バス停
 林道をそのまま進む迂回路を行くと、船玉神社・猪鼻王子はパスすることになる。緩やかにアップダウンする林道をYOU達
 は快調に飛ばして行く。ついて行くのに精一杯だ。YOU達の一人は上海のトレッキングサークルのリーダだそうだ。
 どうりで速い!一生懸命、ひたすら歩いていくと赤い社がカーブの先に見えた。発心門王子だ。
16:10 発心門王子バス停到着。無事間に合うことが出来た。 彼女達が引っ張ってくれたお陰だ!
16:23 の最終バスに乗り、川湯温泉へ。熊野本宮大社では沢山のYOU達が乗り込んできた。
16:51 川湯温泉に着いた。 今夜の宿は 川湯温泉 みどりや。名物の露天風呂にも入る元気がないほど疲れ果てて
 食欲低下の体にはバイキング形式の料理が適していた。ビールばかりが美味しかった!
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