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吉備中山(きびなかやま):162.2m        岡山県岡山市北区

 山の概要
    真かねふく きびの中山帯(おい)にせる ほそたに川のおとのさやけさ
  古今集に見える吉備の中山は、岡山市の西部、旧山陽道の南に坐した山塊で、備前・備中の両国にまたがっている。南嶺には
  四道将軍吉備津彦の御墓(前方後円墳)があり、西のふもとに吉備津神社、東のふもとには吉備津彦神社が鎮座し、また、国
  境を流れる細谷川に沿って福田海本部や藤原成親の墓がある。 ー福田海にある岡山市の案内からー
  
 Route Map吉備津神社から四国往来を歩き、吉備津彦神社登山口から竜王山、吉備中山を経て、吉備津神社に下山
 Road Map山陽自動車道岡山ICから国道180号線を西進し、吉備津神社へ 

 2019年1月18日(金曜日)
  晴れ時々曇り

 ホーム6:45.。。。。8:35瀬戸滝駐車場8:45 → 8:47吉備津神社9:10 → (四国往来) → 9:17福田海9:20 → 9:28歌碑 → 

 9:42吉備津彦神社9:48 → 登山口9:52 → 9:57成親供養塔 → 10:18元宮磐座分岐 → 10:28中山龍王山山頂10:43 → 

 10:51分岐 → 11:04環状石籬 → 11:06藤原成親遺跡分岐 → 11:08ダイボーの足跡 → 11:12吉備中山山頂 → 11:14鏡岩 →

 11:18吉備中山山頂 → 11:20遊歩道合流 → 11:25穴観音 → 11:30茶臼山古墳(昼食)12:03→(車道歩き)→12:13遊歩道分岐 →
 12:19遊歩道下山口 → 12:28吉備津神社駐車場12:35。。13:00国分寺13:30。。14:10矢掛宿 。。16:05ホーム

 行動時間:3時間18分(休憩、昼食時間含む)
 昼食時間:33分

 古代の歴史と桃太郎伝説の残る吉備の国を訪れるのは、6年前(2013年1月19日)鬼ノ城山に登って以来だ。
 吉備の中山は古代吉備の国の中心に位置し、その山麓の北と南に備前一宮の吉備津彦神社と備中一宮の吉備津神社が寄り添うように
 鎮座している。これは大和の国にも対抗しうる大きな力を持った吉備の国を備前、備中、備後に分国した際(天智天皇の時代か?)、それ
 ぞれに吉備津彦を主祭神とする一宮が造営された。備後一宮は広島県福山市新市町にある。
 吉備の中山は古くから都でも有名な山で、古今集や新古今集、その他の色々な歌集にも詠まれ、清少納言は、随筆「枕草子」の中で「山は
 小倉山。三笠山。・・・・・吉備の中山。嵐山。更科山。・・・・」と、都から遠い吉備の中山をあげている。
 そんな由緒ある山を北の吉備津彦神社から中国自然遊歩道を辿り、多数の遺跡や神秘的な岩を探索しながら南の吉備津神社へ降りる
 ことにする。
 まずは吉備津神社に詣でて今年の安全を祈願し、吉備中山巡りに出発する。
吉備津神社本殿へ上がる石段 吉備津神社本殿(国宝)

 吉備津神社前まえから吉備中山の裾野を時計回りに四国往来(金毘羅往来)の道を進む。蝋梅や水仙の咲くのどかな通りを歩いていくと
 福田海という修験道の寺があり、「はなぐり塚」の看板が立っている。ちょっと覗いて先に進むと「両国橋」と「細谷川」の石柱が立っている。
 この細い流れに架る橋が備前と備中の二つの国を跨ぐ橋・両国橋だ。
 備前の国に入り10分程行くと赤木格堂・平賀元義(明治時代岡山出身の歌人)の歌碑がある。
 紅葉が植樹された往来は良く整備され、「こんぴら」と彫られた道案内の石碑を辿ると、やがて吉備津彦神社の駐車場の前に出る。
 
吉備津神社前から四国往来を北に進む
赤木格堂・平賀元義の歌碑を過ぎ、良く整備された四国往来を行く

 駐車場の奥にある桃太郎像を右手に過ごし、吉備津彦神社正面まで来ると左手に神池を配した庭園の中に松並木の参道が見える。右手
 には随身門があり、二柱の門番が守っている。そして三つ編みのような中蓮縄を潜ると大きな階段の上に拝殿が聳えて見える。
 夏至の日には太陽が正面参道の上から昇ることから「朝日の宮」ともいわれる。
 今日二度目のお参りをし、おみくじを買うと「中吉」、ほどほどに良くていいかも・・・。
 拝殿の横に回り込むと美しい本殿(奥)と渡殿を見ることが出来る。
 
吉備津彦神社の参道 随身門
拝殿 本殿(奥)と渡殿

 神社の左手から登山口に向かう。 稲荷神社を過ごすと正面に「吉備の中山登山口」の石柱がある。登山口を入るとすぐ右手に温羅神社
 がある。桃太郎伝説における鬼の役割をしている温羅が、吉備津彦神社の裏にひっそりと祀られている。
 正面に大きな忠魂碑を見て、右に続く登山道を進む。古い吉備津彦神社は忠魂碑の上辺りにあったらしい。
 広い道を登り始めると、すぐ左に藤原成親供養塔があり、その下は横穴式石室古墳になっている。
 暫く緩やかな広い道を登っていくと、しだいに傾斜が増し、急になった坂道を登り切ると元宮磐座の分岐にでる。
 、
稲荷神社 吉備中山登山口
忠魂碑 広い中国自然道
藤原成親供養塔(マウスON) 緩やかな道
急になった坂道を登り切ると元宮磐座の分岐にでる

 「元宮磐座・八大龍王へ 0.3km ・天柱岩 0.5km」の案内に従い、右折して中蓮縄を潜る。緩やかに上り下りし、鞍部から登り返すと
 元宮磐座がある。ひだりに急坂を下ると「天柱岩」があるが今日はパスする。右に向かい元宮磐座の横を抜けると経塚、その先に「八大
 龍王」と「吉備の中山龍王山山頂(170m)」の山頂標柱がある。縦走路中で一番眺めが良い山頂からは東と南に展望が開け、のどか
 な風景が広がっている。先着の地元の人と話をしながら、のんびりと休憩する。
 分岐まで戻り、「木漏れ日の道」と名づけられた平坦な遊歩道を歩いて行くと次々と大岩が現れる。
 神様の「お休み岩」、きれいな円形の「環状石籬」を過ごすとすぐに分岐がある。「福田海・藤原成親遺跡」の標識がある。分岐を右折する
 と浅い大きな窪地があり「ダイボーの足跡」とある。ダイボーって?大坊(大きな坊さん)の意味。
 福田海への分岐を右に見送ってダイボーの足跡を回り込むと「八畳岩古墳」がある。天井岩は崩れ落ちているが横穴式石室古墳である
 ことははっきりと認識できる。その先に大小100を超える岩があり、最大の岩が「八畳岩」である。
 いままでの掃き清められた遊歩道とは違い、落ち葉の積もった道を緩やかに登っていくとアンテナの立つ広いピークに着く。 ここが三等三
 角点の置かれた吉備中山の山頂だ。樹木に囲まれ展望は全くない。
 
元宮磐座 吉備の中山龍王山の山頂標識と八大龍王
木漏れ日の道と名づけられた遊歩道を行く お休み岩
環状石籬 藤原成親遺跡分岐
ダイボーの足跡 八畳岩古墳
八畳岩 吉備中山山頂

 山頂広場の手前を「鏡岩へ100m」の案内に従い右手に下っていくと大きな立岩が一列に数個並んでいる。その中で一番下の大きな岩
 が鏡岩だ。鏡のような真っ平らな表面にある不思議な模様は古代文字のようにも見え、空想を掻き立てられる。
 山頂広場まで戻り、次は「石船古墳へ 0.5km」の案内に従い左手の道を下っていくと中山茶臼山古墳への遊歩道に出る。右折して少し
 進むと「石船古墳へ 0.3km」の案内があるが、今回はパスする。
 遊歩道をしばらく進むと有刺鉄線が張り巡らされ「立入禁止 宮内庁」の表示があちこちにある茶臼山古墳の側を歩いていく。やがて道が
 二分し、左の広い道は八徳寺へ、右の細い道を上がると御陵の一角である「穴観音」がある。鉄格子の扉を開け穴観音を間近に拝む。
 穴観音を出発し、鉄条網に沿って進むと間もなく右手が開けてくるので、そのまま右に向かうと、右手に立派な御陵が見えてくる。
 「茶臼山古墳」は古墳時代前期(四世紀頃)に築かれたと推定される前兆105mの大型前方後円墳だ。
 御陵の正面に出る前(御陵正面右端)に備前と備中の境界を示す国境石がある。御陵正面の階段を降り広場で昼食にする。寒風に曝さ
 れながら吉備の里を木の間越しに見ながらの休憩だった。
 
鏡岩(マウス ON 拡大) 穴観音
備前・備中の国境石 中山茶臼山古墳

 広場の東側には、八徳寺から三十三観音像が並ぶ下山道があるが、今回は広場から吉備津神社方面に長く延びる階段を下りていく。
 下りた先の車道を右折するとすぐ左に遊歩道が分岐し、車道と別れる。舗装された階段の多い遊歩道は清掃が行き届き、案内や和歌の
 看板などが立っている。遊歩道の降り立つ先は吉備津神社の瀧祭宮の傍だ。
 車道を左折し、神社の中を歩いて駐車場へ。12時半だ!早すぎる。もっとあちこち寄ればよかった!
 
古墳前の広場で昼食 長い階段を下り車道へ
車道から離れ遊歩道へ 吉備の中山を歌った和歌
渓流沿いの遊歩道 遊歩道下山口

備中国分寺
 時間があるのでまずは備中国分寺へ。前回寄ったときは五重塔は修復中だったが、今回はその全容を見せてくれた。次回は菜の花の咲く
 頃にゆっくり歩いてみたい。
国分寺全景            本堂と五重塔

矢掛の宿
 今年の西日本7月豪雨の被害に会われた真備町を通り、矢掛へ。これは街道歩きの下調べ。
 
旧矢掛脇本陣高草家住宅 素敵な路地
ひとこと:低くて緩い山歩きだったが、見どころ多く楽しいハイキングだった!
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