三丘ヶ岳(みつおがだけ):318.8m・平家ヶ城(へいけがじょう)300.0m・夫婦岩 山口県周南市小松原
山の概要
山口県周南市にある山で、中世山城跡であり、国土地理院の地形図には城山と記載されている。信仰の山としての形跡も残り
西麓にある夫婦岩は高水神社の奥の院とされる。山頂には三等三角点があり樹林に囲まれているが、北面が開けている。
登山ルートは玖珂17高架から登る正面登山道、玖珂18高架から登る夫婦岩コース、旧山陽道中山峠からのコースがある。
また、山塊の東側を流れる島田川沿いには淡海道と呼ばれる歴史街道が走っている。
Route Map:正面登山口から三丘ヶ岳山頂を目指し、夫婦岩、平家ヶ城から中山峠に下山し、山陽道・淡海道を周回
Road Map :山陽自動車熊毛ICから県道144号線を進み広末橋を渡り。山陽自動車の側道を行く |
2017年1月28日(土曜日) 晴れ
ホーム6:30.。。 。。8:45玖珂17高架下駐車場(正面登山口)8:55 → 9:45展望岩9:55 → 10:02三丘ヶ岳山頂10:05 →
10:23主稜線合流 → 10:42夫婦岩(昼食)11:40 → 12:00平家ヶ城 → 12:25中山峠→ 12:45淡海道入口→ 13:00淡海和尚碑 →
13:20山陽自動車道高架下 → 13:35毛利元就公歯廟 → 13:40宍戸家墓所 → 13:42毛利元政宝篋印塔 → 13:58貞昌寺14:06→
14:10登山口14:15。。 。。。 15:30 かんぽの宿 光
行動時間:5時間15分(休憩、昼食時間含む)
昼食時間:58分 |
三丘城山・夫婦岩縦走
今日はこの時期には珍しい晴天と3月並みの気温(13℃の予報)、絶好の登山日和だ。
山陽自動車道熊毛ICを出て県道144号線を進み三丘温泉を右手に過ごすと、その先の島田川にかかる広末橋を渡る。正面に見える
山陽自動車道の玖珂19の高架を潜り、高速の側道を東進すると玖珂18の高架前に着く。その先に広末コースの登山口があるが、車道
脇の駐車スペースにはコーンが置かれ、駐車を拒否しているみたいだ。
玖珂18高架を潜って左折し、300mほど東に進むと「城山・三丘城跡」の小さな道標が見える。この高架(玖珂17)を潜ると、広い駐車場
が三丘ヶ岳の尖峰を背にして広がっている。駐車場の東側に正面登山口がある。
登山口の六地蔵に見送られ登山開始。真直ぐ延びた林道を進むと間もなく自然林の中に入っていく。ここにも熊注意の看板が立っている。
沢に沿って暫く進むと林道から離れ左に導くようにテープがある。細い山道に入ると岩の多い急な坂道になる。掘れた急坂を登り、右方向
に向かうと羊歯が被さる急登になる。足に纏わりつく羊歯に足をとられ歩きにくい。
ひと汗かいて、羊歯が切れ平坦になった所で服装調節を兼ね休憩。ロープの渡された急斜面から再び深い羊歯の道を登っていく。
登山道は鞍部には目もくれず潔いほど尖峰の山頂に向けて真っすぐ登っている。やがて羊歯が薄くなるとロープの渡された岩場の急斜面
に出る。ロープを掴みながら進み、大岩の横を回り込んで東に向かうと展望岩の表示があり、その先に大展望は広がる展望地に出た。
なだらかな周南の山並みを背にして竜ヶ岳の尖峰が一際目を引き、その麓には竜ヶ岳を貫いた山陽自動車道の竜ヶ岳トンネルが流れ出
している。
展望を堪能し、疲れもとれたところで山頂の三角点に向かう。ここからも相変わらず急登が続き、ロープのある斜面や城跡の石組らしき場
所を通過し、平坦な三丘城山山頂に到着する。山頂は樹木に囲まれた狭い広場の中央に三等三角点があり、竜ヶ岳を望む東側だけが
わずかに開かれている。
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高架の前に城山・三丘城跡の案内標識 |
玖珂高架17の駐車場 正面の尖峰が三丘ヶ岳 |
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正面登山口 |
正面のピークは平家ヶ城 |
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ここにも熊注意の看板 こんなところに居るとは思えないが・・ |
林道から分かれ山道へ |
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急な坂道 |
羊歯が被さる急登 |
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羊歯が切れ平坦になった所で服装調節 |
ロープも設置されている |
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再び羊歯の覆う道 |
羊歯道が終わり、いよいよ尖峰の先へ |
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大岩が出てくると展望岩が近い |
展望岩で休憩 |
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展望岩からの眺め 中央の尖峰が竜ヶ岳 麓に山陽道 |
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三丘ヶ岳山頂 |
山頂から見る竜ヶ岳 |
山頂からの下りは激下りだ。ロープの渡された急斜面を慎重に下っていくと平坦な道となり、鞍部から登り返すと主稜線の尾根道と合流す
る。正面の木に「平家岳← →夫婦岩」の標識が架っている。ここは夫婦岩へ向かって左の道を採る。
ここからは歩きやすい平坦な道を進み、少し下ると「玖珂18登山口」の標識があり、広末コースの分岐に着く。そのまま直進し鉄塔下を通
過、烏帽子岳が正面に見えている。さらに西進し、少し下って登り返すと大きな岩が二つ差し向かいで立っている夫婦岩に到着する。
岩の手前は明るい広場になっており、吉野桜が植えられている。
展望も良く、休憩場所には絶好の地点なので、時間的には少し早かったが、暖かい陽射しを浴びながら昼食にした。 |
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山頂からは激下り |
主稜線の尾根道に合流 |
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歩いやすい尾根道 |
玖珂18への下山口 |
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鉄塔越しに眺める烏帽子岳 |
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夫婦岩 |
巨岩の間でいつものポーズ |
昼食を終えると、次は平家ヶ城を目指して来た道を引き返す。鉄塔で今日二人目の登山者と出会う。城山の分岐まで戻り、北に向かい頂
上直下の急登を登ると頂上に着く。 先ほど夫婦岩で出会った人が狭い山頂で昼食を採っている。ここから見る三丘ヶ岳は尖峰には見え
ない。
ここからは登ってきたのと反対の北側に降り、旧山陽道(県道142号)の中山峠を目指す。すこし下ると送電鉄塔が左に見え、椅子のような
岩がある。ここでも一休み! この先右へと続く中電鉄塔巡視路に入り、羊歯が綺麗に刈られた急勾配の道を一気に高度を下げていく。
やがて県道の中山峠に降り立ち、岩国方面に向かうと「御駕篭建場の跡」の案内を道端に見つける。更に舗装路を下ると右手に賽神社を
過ごし、次に竹林の先に観音石仏の建つ宗泉寺跡に・・。ここから「淡海道」に入っていく。
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平家ヶ城山頂 |
羊歯が刈られた中電道 |
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傾斜が緩むと・・・・ |
中山峠に下山 |
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旧山陽道を行く |
淡海道入口 |
淡海道
江戸時代の文政のころ、三丘村末広の貞昌寺にいた客僧、淡海和尚が自ら率先して鍬を採り、村民を励まし、島田川の右岸の絶壁を
切り崩して、約2kmの新道を完成させた。天保元年に完成したこの道は【淡海道】と呼ばれ、使われなくなった現在も残っている。
旧山陽道を下ってくると左手に石垣と石仏群が見えてくる。ここは、宗泉寺跡で淡海道入口だ。ここを折り返すように細い道に入っていく。
道なりに250mほど行くとイノシシ避けの電気柵に遮られ行き止まりになる。どうも少し手前の広くなった所から民家の前の道を行くようだ
が、我々が強引に電気柵を乗り越えて突破した。少し草の茂った場所を抜けると小川があり、橋を渡ると石垣が現れる。その先の右手斜
面に「淡海和尚の碑」がある。石碑には「淡海道」完成の翌年、天保2年の記がある。
島田川の急流の水音を聞きながら歩く街道は山側を削り、谷川は石を積んで土台を組み、道幅を確保している。しかし時代の流れと共に
落石が道を塞ぎ、倒木も放置され、崩落個所も見られるが、道の脇に佇む石像とともに趣のある街道となっている。
いにしえの風情に浸りながら30分ほど歩くと高速の高架橋が見え、現実に引き戻される。
高架橋を潜る舗装路に出たが、この道も間違っていたようだ。ネットで調べるとガードレールの隙間から川辺に下るのが正解だったようだ。
高架橋を2度潜り、側道から高速を跨ぐ城山橋を渡り、道なりに下っていくと【毛利元就公歯廟 同婦人宝篋印塔】があった。
さらに林の中を進むと「宍戸家墓所・宍戸家家老末兼家墓所に着く。ここは、寛永2年一斉領地替えにより三丘領主となった宍戸家の仙竜
寺墓所である。
墓所を出て南に向かうと【毛利元政宝篋印塔・宍戸元続夫人の墓】に着く。
少し戻り、民家の横を抜けて舗装路に出て、西に向かう。観音石仏を過ごした先で貞昌寺に向かう坂を登る。
貞昌寺は三丘嶽城の大手門があった辺りで、大内氏時代には城主の居舘があったところと言われている。また関ケ原の合戦後に防長
二か国に減封となった毛利の家臣で、安芸国生城山城主天野元政(元就の七男・毛利元政)が三丘へ移ったときに居舘を構えたところ
と言われている。 寺の構え、縄張りを見ると納得できる。
貞昌寺から道なりに山陽自動車道に向かえば、すぐ登山口のある玖珂17の高架下に着く。
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石垣の残る道 |
淡海和尚の碑 |
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淡海道 立派な道も今は落石、倒木、崩落と少し荒れ気味です |
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道端に安置された石像も江戸時代のものでしょうか? |
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木漏れ日が美しい街道 |
山陽道高架下を通過 |
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毛利元就歯廟(マウス ON 説明版) |
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宍戸家墓所に標識 |
宍戸家墓所 |
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宍戸家家老 末兼家墓所 |
毛利元政宝篋印塔(マウス ON 説明版) |
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貞昌寺入口の坂を上がる |
貞昌寺 |
ひとこと:三丘城山と歴史探訪の旅。充実した時間を過ごす! |