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 日晩山(ひぐらしやま):743.5m        島根県益田市波田町

 山の概要
  日晩山は島根県の旧益田市と旧匹見町の境界に位置し、合併前は益田市の最高峰であった。かっては北から南西にかけて
  弧を描くように延びる尾根を跨いで西麓の波田町(真砂)と南麓の匹見町澄川に往還が通じ、明治の中頃まで安芸~匹見~
  益田の主要街道として多くの人が行き交っていた。当時は真砂と匹見の間の最高地点を日晩峠(ひぐらしだお)または日晩山
  (ひぐらしやま)と呼び、現在の日晩山山頂部は比良山あるいは平山と呼んでいた。日晩峠は展望の良い名所として知られ、
  今も残されている明治期に建てられた四つの歌塚が往時を偲ばせる。
  「日晩」の名は、平安時代に菅原道真が京の都から九州大宰府に落ち延びる際、備後から匹見を経て益田の海に向かう途中
  、この峠にさしかかったところで日が暮れはじめ、真砂の里を抜け、次の峠にたどり着いたときに夜が明けたという言い伝えに
  由来する。
  登山道は波田町真砂から日晩峠を経て山頂に向かうコースが一般的。日晩峠から山頂までは比較的最近に開かれた道だが、
  よく踏まれて歩きやすく、山頂を含め、いくつかの好展望地があり退屈しない。山と渓谷社の文県登山ガイドでは、新版・旧版
  とむにこの日晩峠コースを往復路として紹介しているが、現在は山頂と西の蛇瀧の間に登山道が通じており、周回することが
  出来る。
 Route Map真砂登山口から反時計まわりに山頂を目指し、蛇瀧ルートを下山
 Road Map中国道戸河内ICから国道191号線を西進し、案内に従い県道54号線を南下する。 

 2017年6月4日(日曜日)
  晴れ

 ホーム6:00.。。。。 8:25真砂公民館8:35 → 8:38八幡宮 → 9:00猿田彦大神 → 9:22斗舛石の清水 → 

 9:35日晩峠(休憩)9:50 → 10:15 651mピーク → 10:50第二展望台11:00 → 11:10第一展望台・日晩山山頂(昼食)12:10 →

 12:40分岐 → 13:05蛇瀧分岐 → 13:20蛇瀧観音堂 → 13:24蛇瀧分岐 → 13:29防災広場 → 13:50蛇瀧登山口 → 
 14:05真砂公民館4:10。。。 。。16:35ホーム

 行動時間:5時間30分(休憩、昼食時間含む)
 昼食時間:60分

 広島・島根県の県境を越え、標高差500m余りの曲がりくねった国道191号線を下るのも4年ぶりだ。工事中だった落石防止の工事も終
 わり、真新しいネットが壁面を覆っている。美都温泉の道の駅を過ぎて更に高度を下げ、平坦になった国道を進むと、間もなく現れる真砂
 の標識に従い左折、県道54号線に入る。「ひだまりパークみと」を右に見て、10分程走ると真砂公民館や真砂小学校の案内が現れ、左  
 の旧道に入ると公民館と診療所の駐車場に着く。今日は日曜日で診療所も休みなので、ここの駐車場を利用させてもらう。少し先にある
 コミュニティ広場は駐車可?・・ 分からない?
 公民館の手前には日晩山登山道入口の道標が立っており、右回りの「日晩峠方面 山頂まで4000m」、左回りの登山道は「蛇滝方面
 3600m」と案内されている。 今回は一般的な日晩峠方面から登り、蛇滝方面に下ることにする。
 標識に従い、進んでいくと、すぐに「日晩峠遊歩道のご案内」と書かれた大きな案内板の前に出る。文字が薄れてはっきりと読むことは出
 来ないが、平成2年7月に真砂地区活性化対策協議会により整備されたとある。
 入口右手に登山道入り口の標識が立っており、その標識に従って民家の間を抜けると鳥居が二つ並んだ神社の前に出る。
 向かって左が紅葉岡天満宮、右が神光山八幡宮、どちらが主従というのではなく、二社それぞれに鳥居と狛犬があり、石段と社殿を並べ
 て仲良祀られている。
 登山道は神社の前から民家に向かって進んでいく。特に標識もないので、神社の前から見ると民家に出入りする私道のように見える。
 
真砂公民館 日晩山登山道入口の道標
日晩峠登山口 案内板
天満宮と八幡宮が仲良く並んで祀られている

 民家と墓地の間につけられた道に入ると廃屋のさきからは舗装も切れ、いよいよ登山道が始まる。広い坂道を進むと周囲には竹林が広
 がり、道の上には笹の落ち葉が積もり滑って歩きにくい。竹林を抜けて溝状になった道を登っていくと小学校や中学校への分岐標識がある
 が、道は草や笹が伸び放題で、久しく人の歩いた形跡はない。
 分岐を過ぎると平坦な道な道になり、しばたく進むと左手に洗川観音の説明版が立っており、ここから谷に向かって薄い踏み跡がある。
 麓から日晩峠まで約1.3kmで、100mおきに距離表示のポールが立てられている。 800mのポールを過ごすと、その先の左斜面に
 鳥居が立っている。猿田彦神社だ。
 鳥居の傍らに立つ「中休之並木 猿田彦大神」の案内には 「益田町より安芸国広島へ通ふ第二種道にして(明治32年に秋冷道(現在の  県道54号線)が開通するまでは唯一の幹線)波田の里より日晩山への五合目にして行客の必ず休憩する所なり、依て中の休の字あり。
 往古より此所に庚猿(かのえさる)松と称する老松あり 安正二年正月社員を募り福羽美静君の揮豪を乞いて碑石を建設せり」とある。
 明治時代の旅人がここで休憩し、同じ風景を眺めていたことに思いを馳せながら、ここで休憩する。
 
竹林の道 真砂小学校分岐
溝状の道 洗川観音の説明版
猿田彦神社 猿田彦神社の石碑

 猿田彦神社を出発して900mのポールを過ごし、植林帯の中を行く。大きく右にカーブすると明るい場所に出る。少し傾斜のきつくなった
 道を進むと坂の途中右手に斗舛石の清水が現れる。かっては豊富に水が湧き、旅人たちの喉を潤したというが、現在は今にも途切れ
 そうな細い流れになっている。
 フタリシズカの群生する坂道を登っていくと左手にトイレ棟が見えてくる。屋根に落ち葉の積もった古いトイレだが手洗い水も備えたちゃん
 としたトイレだ。ここから3分ほどで「山頂まで2300m」と表示された日晩峠に着く。匹見町澄川に下る道はヤブ化しており通ることは出来
 ない。ここでかっての往還道はここで終わりのようだ。
 峠から左の道を上がると笹床の美しい自然林が広がり、歌塚の説明板と共に明治期の三基の歌塚が立っている。さらに展望地に向かって
 進むと手前に東屋が建ち、その先にはもう一つの歌塚は置かれている。
 展望地から眼下を見下ろせば、真下に波田の集落が広がり、その先に比礼振山の尖峰が・・・遠くには益田の市街地が広がり、その背後
 には日本海が続いている。
 
植林帯から明るい登山道へ 斗舛石の清水
フタリシズカの群生 峠手前のトイレ
日晩峠 歌塚の説明版
日晩峠の東屋 日晩峠の展望地
展望地からの眺める波田集落と比礼振山(中央の尖峰)  

 東屋でエネルギーを補給して、日晩山山頂に向け出発する。麓から見上げた稜線の山容から、高低差の少ないなだらかな縦走路を想像
 していたが、651mピークまでは急な登りが続く。日晩峠の「2300m」から100mおきに山頂までの残りの距離が表示された案内が立っ
 ている。
 アカマツの交じる美しい自然林と良く踏まれた優しい登山道を、時折吹き抜ける冷風に助けながら「1300m」の標識を過ぎると緩やかな
 アップダウンの道になる。残り1000mを過ぎ、明るい笹原の道を進むとキイチゴの群生地があり、更に500m標識を過ごし少し進むと
 第二展望台に着く。
 第二展望台から鞍部まで下り、残り200mの標識を過ごせば最後の登りに取り掛かる。距離は短いがロープの付けられた急坂を登ると
 青空の下、逆光の中にくっきりと浮かぶ2階建の展望台が迎えてくれる。そして第一展望台の標識が立つ日晩山山頂に到着する。
 山頂には山頂標識は無く、三角点と方位盤が設置してある。
 山頂からの展望は素晴らしく、南西方向には十種ヶ峰と青野山、南東方向には赤谷山と大神ヶ岳、その奥に安芸冠山が頭を出している。
 そして一番の展望は、春日山を中心に東に広がる恐羅漢山をはじめとする西中国山地主稜の展望だ。
 展望台からは松の木立に囲まれ西中国山地の展望を楽しむことは出来ないが、北側の益田市街や石見空港、そして日本海を見渡すこと
 が出来る。
 展望を見ながら、昼食と食後のコーヒーを楽しむ。 一組のご夫婦(地元益田市の人)が登ってきた。
 
651mまでの急登 美しいアカマツ林
緩やかな笹道 三角点まで1000mの表示
明るいササの道 キイチゴ
快適な縦走路 第二展望台
最後の登り 何の卵?  山頂の展望台
第一展望台(三角点はあるが山頂標識は無い) 展望台から山頂を見下ろす
西側の展望 赤谷山方面
西中国山地の主稜を一望
第二展望台 開花を待つササユリ

 開花を待つ一株のササユリに見送られ下山開始。下山口には蛇滝広場登山口と第三展望台の案内が立っているが、第三展望台への踏
 み跡は笹に覆われ、踏み入ることもできない。
 蛇滝に下る道は、日晩峠よりも細い道だが、踏み跡はしっかりしている。杉と檜の植林帯に入ると、やがてV字谷の急坂をいっきに下り沢と
 出会う。植林帯は谷沿いだけで斜面は美しい自然林が覆っている。林床の羊歯の緑と美しいコントラストを描く杉林を抜け、山腹の緩やか
 な登山道を進むと、「日晩山頂上1220米」の案内が現れ、この先で道は左右に分かれる。右の道にはX印が2か所記されており、がけ崩
 れでもあるのだろう。
 左の道をとれば蛇滝広場まで1260米。人の歩いた気配の少ない草の生えた横木の階段を下り、沢まで降りると左手に滝が見える。
 沢を越えて登り返し、コアジサイの咲く植林帯を下っていく。沢まで降りて右岸に渡り返し、しばらく進むと防護柵付きの遊歩道になる。
 遊歩道を5分程下ると蛇滝への分岐が現れる。宝暦3年の夏、大洪水で滝壺ごと流されてしまった大蛇を哀れみ村人が建てたという観
 音堂はここから50mとある。
 分岐から10m程入ると真新しい供養塔と大きな石碑が立っている。さらに進むと向かい合った断崖の間に鉄パイプで作られて歩道橋が
 奥に延びている。この道を歩き、岩の端まで行き、折り返すと斜め上に観音堂が見える。更に折り返しながら高度を上げれば、間もなく観
 音堂に着く。
 鉄パイプの奥の細い流れが蛇滝だろうか? ここから土石流となって巨岩の間を流れ落ちたのだろうか?
 分岐まで戻り、沢沿いを下り、竹林帯を過ごすと東屋の建つ蛇滝広場に着く。「蛇滝自然観察路」の案内板には、平成11年(1999)~
 平成13年(2001)にかけて遊歩道を整備したとある。この広場は駐車場となっており、ここからは舗装路を帰ることになる。
 広場を出た所には大きな桑の木が何本もあり、黒い実をたわわにつけている。
 舗装路を歩き、T字路に出ると左折する。ここに日晩山登山道入り口の標識と「蛇滝自然観察路」の案内板がある。なお標識には蛇滝経由
 山頂まで3000mの表示がある。公民館まであと500mだ。久保湓集落から振り返ると日晩山のなだらかな稜線を見ることができる。
 そのまま舗装路を下り、真砂デイサービスセンターを左に過ごすと間もなく真砂公民館だ。
 
蛇瀧広場と第三展望台の標識 コアジサイ
V字谷の植林帯を下っていく
分岐 右の道は? 右手の道
何滝? コアジサイの群生する坂を下る
沢を渡り右岸へ 防護柵付きの遊歩道
蛇瀧分岐 供養塔と石碑 (マウス ON 石碑の裏に掘られた蛇瀧の文字
素晴らしいゴルジュ 蛇瀧観音
蛇瀧?
蛇瀧広場(防災広場) 桑の実を採る副隊長
蛇滝広場への道 日晩山登山口
ウツボグサの群生 真砂公民館横のお地蔵さん
ひとこと:変化に富んだ登山道、歩き足りないことのない山歩き。夏は木陰の涼しい登山道だ!
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