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 頭崎山(かしらざきやま):504.3m
        広島県東広島市高屋町貞重

 山の概要
   頭崎山は東広島市高屋町の北部に位置する標高504mの山である。
   山頂部にある頭崎城は、中世安芸国の有力な国人領主平賀氏によって、大永3年(1523年)に築かれた山城
   である。
   慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いに敗れ、毛利に従って萩に移るまで、頭崎城は平賀氏の本城として使用さ
   れました。その間、何度も回収を重ねたと思われ、その城域は東西900m、南北600mの及び、中世の山城と
   しては広島県内では毛利の郡山城に次ぐ広さがあり、平賀氏の支配領域のほぼ中央に位置している。
    −三の丸の「頭崎城跡」の説明板よりー
   
 Route Map日南登山口から山頂を経て、極楽寺奥の院に下山
 Road Map山陽道高屋ICから県道59号線を東進し、城山トンネルを潜り、高屋工業団地を経て貞重の登山口へ 

 2016年1月16日(土曜日)
  晴れ

 ホーム9:30.。。10:30貞重集会所10:33 → 10:35日南登山口 → 10:44山道入口 → 10:52正面登山道合流 → 

 11:09鳥居の段 → 11:19三の丸 → 11:20太鼓の段(昼食)12:30 → 12:35甲の丸(山頂) → 12:45硝煙の段 →

 12:56林道終点 →  13:05極楽寺分れ → 13:16奥の院 → 13:24薬師堂 →13:28奥の院登山口 →
 13:42日南登山口 → 13:43貞重集会所13:50。。。。 14:35ホーム

 行動時間:3時間10分(休憩、昼食時間含む)
 昼食時間:1時間10分
今週も東広島市の城跡巡り
 先週の槌山城に続き、今週は70年余りにわたって平賀氏の居城となった頭崎城です。
 東広島中核工業団地を抜け、西進していると頭崎城跡登山道正面口の案内が立っている。そこから西に200m行った所が
 お好み焼き「仲よし」のある日南登山口だ。
 貞重集会所に車を停めさせていただき、登山支度をして日南登山口に向かう。登山口には、頭崎城跡の説明板と槌山でも
 見た毛利元就の看板が立っている。
 舗装された道の脇には頭崎城跡登山道案内の看板が立ち、「正面登山道(徒歩)100m右入る。 極楽寺経由登山道(徒歩)
 470m上り右入る。 自動車道登山道(急坂) ・・・・m上り右入る。」の三通りの親切な案内がされている。また分岐毎にも
 親切な道標が立ち、案内通りに進むと農道から山道の登山口へと誘導される。
 イノシシ避けの柵を抜けると落ち葉が深く積もった急坂に足が取られるが、すぐ傾斜は緩み雑木林の山道を登っていく。
 柵から10分ほど進むと正面登山道と合流する。良く踏まれた気持ちの良い登山道がずっと先まで見通せる。
 傾斜が増して、山腹を東側に回り込むと、明るい空が見え、稜線に出るとやがて鳥居の段に着く。
 しばらく登ると石柱と鳥居がある。鳥居の扁額には頭崎神宮とある。神宮を名乗れるのは皇室と関わりのある神社だけのは
 ずだが・・・。 出雲のお宮でも皇室と関わりが無いから出雲大社だ。今の時代は何を名乗ろうと自由だが、この鳥居、戦後に
 建てられた物のようには見えないが・・・・・。
 鳥居を潜ると矢竹がびっしり生えたジグザグの急坂になる。竹林の中には石垣の跡も見える。
 急坂を登り切ると広場に出る。正面には頭崎神宮?、右に太鼓の段、左に硝煙の段を配した三の丸だ。更に左前方の階段
 を登ると二の丸、甲の丸に続いている。
 まずは太鼓の段に上がり、昼食にする。桜とカエデの木が植えられた広場にはベンチが設置されている。雑木越しに南側の
 展望が得られ、西条市街と龍王山が良く見える。
 山頂で犬を連れた地元の人と山談義に講じているといつの間にか時間が経ってしまった。このあと置いてきぼりにされた犬
 に付きまとわれ、四苦八苦。でも賢い犬(ボーダーコリー)だから無事帰っただろう。
 
頭崎城の説明板と頭崎山 日南(ひな)登山口
分岐毎に立つ道標 農道から山道へ
山道の入口にはイノシシ避けの柵 深い落ち葉の急坂
明るい雑木林の道 正面登山道に合流
よく踏み込まれた登山道 たまには急な登りも・・・
鳥居の段 石柱と頭崎神宮の鳥居
石積みの残る竹藪の急登
頭崎神宮 三の丸の標識と説明板
三の丸から右手に上がると太鼓の段   ここで昼食

 もとの三の丸に帰って、ここのお宮、頭崎神社と標識には書いてある。すると先ほどの鳥居の扁額が間違いか?
 神社の左手の階段を上ると石が無造作に積み上げられた二の丸、その奥の一段高くなっているところが甲の丸。ここに頭崎
 山の三等三角点がある。
 再び三の丸に戻り、左の道を進むと展望の良くきく平らな岩がある。先ほどまで賑やかに宴会をしていた一団ももう帰ったよ
 うだ。
 道の下には硝煙の段がある。硝煙の段の後ろに明治神宮がある。巨岩を重ねて拝む対象にしている。明治神宮からの分社
 とあるが・・・・。 頭崎神宮といい、明治神宮といい、余程権威が好きなのだろう。
 広い道に戻り、西の丸を右手に過ごすと林道終点の駐車場に出る。林道を下っていくと上空には2列の送電線が通っている。
 道端に「大将陣」の標識、侍大将、足軽大将の陣地だったのだろうか? 今は送電鉄塔が立って辺りを見下ろしている。
 暫くすると右手に「右 頭崎城跡 是ヨリ城域 本丸ハ四百米東」の標識、左手に「左下る 極楽寺」の標識が見える。
 案内標識に従い、極楽寺への道に入っていく。落ち葉の積もった歩きやすい道だ。
 極楽寺奥の院を過ぎると石仏の並ぶ参道になり、薬師堂(極楽寺)に至る。さらに5分で極楽寺参道入口に出る。右手には
 「頭崎城跡登山道 奥の院ヨリ」ノ標識も立つ。右折して少し下ると舗装路に出、左折して舗装路を進むと「極楽寺参道入口
 左50m」の標識の立つ石灯篭がある。こうして我々の住む安芸の国を支配した平賀一族の居城探索は無事終了。
 
三の丸から左手の階段を上ると二の丸、さらにもう一段登ると甲の丸(つめのまる)
三の丸から硝煙の段への途中にある展望岩 硝煙の段
硝煙の段にある明治神宮 巨大な手水鉢
林道終点の駐車場
広く明るい林道 大将陣
極楽寺分かれ 奥の院
薬師堂 参道を見守る石仏
極楽寺参道入口 参道への石灯籠
ひとこと: 栴檀の巨木で有名な我が町の小学校跡地も我が町の大庄屋平賀氏の寄付だったそうだ!
       現在の屋敷も立派だが! 本家との系図は判らず。
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