近くの里山シーズン到来
我が家の窓から何時も眺めている山。岩山(黒瀬ではじょうやま)だと思っていたが実際はウソ城。黒瀬からは岩
山山頂は見えないのだ。何年前の台風直後に倒木に覆われた登山道を黒瀬側から登ったことがあるがそれ以来
黒瀬側からの道は閉ざされてしまったと風の便りに聞いた。昔は小学校低学年の遠足コースだったが・・・。
今回は登ったことの無い郷原コースを散歩を兼ねて登ってみようと思う。
胡神社まで約1時間のウォーキング、イラスケ川、黒瀬川の土手を冬枯れの田園地帯とその北側に聳える小田山
を眺めながらノンビリ歩いていくと岩山の全景が見えてくる。
国道375号線から県道336号線に入り新林渡橋を渡ると正面に胡神社がある。神社の前を左に曲がり、細い道に
入って行く。最初の分岐の所の電柱に「呉市指定・名勝岩山登山口」の標識があり、案内に従って右折し民家の
間の坂道を登っていく。民家を過ごすと分岐がある。この分岐を岩山方向に右折し、しばらく進むとコンクリート壁面
に岩山登山口と書かれた登山口に着く。さて、ここからストックを、と思ったら壊れた。ストックの修理に10分ロス!
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黒瀬側から見る城山(じょうやま)
じつはウソ城(うそじょう)だった |
黒瀬のシンボル小田山 |
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岩山全景 |
岩山正面 岩壁には「火の用心」の文字 |
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胡神社 |
下の登山口(マウス ON 丸印拡大) |
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岩に覆われた岩山山頂部と上の登山口
登山口にある案内板には
「岩山(海抜420.6m)は黒瀬川が運んだ土砂でできた平地(海抜約150m)に接し、270mの高さにそそり
たつ花崗岩の岩山で、頂上からの展望は非常に優れています。
戦国時代、東西条(現在の東広島市西条町周辺地域=呉浦も含む)を支配していた千石大名、大内氏の南
部防衛の拠点となる城がこの山にありました。当時、勢力を伸ばしてきた毛利元就が、天文23(1554)年、総
勢2000人による猛攻を加え、激しい合戦の末、城主岩見源之丞は討たれ、岩山城はついに落城しました。
以前、本丸のあった山頂からは黒くなった米や麦、蕎麦等が出土したと言います。しかし、第二次世界大戦の
時、砲台を山頂に設置したため、今は石垣や井戸を残すのみとなりました。」
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ストックの修理を終え、登山開始。よく整備された道を登っていくと5分で林道を横切る。なだらかな道から横木の階段そし
て岩の上を歩くところまで来ると頭上に岩山が顔を出す。しばらくすると石仏のある水場に出る。水場の左手の道は潜り岩
を経て薬師堂に、道なりに進んでも薬師堂の前に出る。家を出て1時間半、休憩するには丁度良い場所だ。薬師堂左の岩
に上がり、眼下の展望や山頂部の「火の用心」の文字を見回しながらエネルギー補給。
薬師堂を過ぎると次第に傾斜が増し、息が上がってくる。 登山道は途中に展望岩を配しながら岩山の北に向かってトラ
バースするように付いている。高度が上がるにつれ展望が広がり、黒瀬川の流れが明瞭に見えてくる。 最後の急坂を登
ると稜線に出る。黒瀬のシンボル小田山が田園の中を貫き建設中の「呉・東広島道路」の先に聳えているのが見える。ここ
から急角度に折り返すと史跡の石垣があり、その先に三等三角点が設置されている岩山山頂がある。辺りに展望は無く、
平坦な広場は猪の踊り場だ。 そこを南に進むと素晴らしい展望に包まれた絶好の展望台がある。赤松に囲まれた平らな
岩の上で昼食にする。 薬師堂で出会ったホワイトシェパードを連れた夫婦も登ってきた。
眼下に流れる黒瀬川に沿って広がる賀茂台地を囲むように左手にゆったりとした野呂山、南に遥か瀬戸内海を望み、そし
て右手には呉の名峰灰ヶ峰が聳えている。
昼食後は史跡探索。展望岩から東へ下る道を降りると矢竹(弓矢に用いたと説明がある)の林の中に城兵が用いた小さ
な水場がある。こんな山頂にあるのが不思議だ。
山頂付近の荒れた林の中を暫く史跡散策して下山にかかる。
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なだらかな登山道を5分登ると林道に出る 林道の向かいに登山道がある |
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なだらかな道、横木の階段そして岩の上に付けられた登山道まで来ると頭上に岩山が顔を出す |
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石仏のある水場 |
薬師堂 |
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尾根に上がり、左に曲がると石垣がある |
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岩山山頂(展望無し) |
山頂から南に5,60m行くと展望岩がある |
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呉・東広島道路と小田山 |
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郷原を流れる黒瀬川、その先に瀬戸内海と灰ヶ峰 |
帰り道は黒瀬・津江への道を探してみることにする。山頂から稜線を下り、郷原への折り返し地点を左に、稜線を直進する。
折り返し地点は昔のままだし、尾根上の道は意外と明瞭だ。それに心強い?ピンクのテープもある。
記憶をたどりながら岩山北峰(ウソ城)辺りで津江への下山道を探すが見当らない。覚悟を決めて、さらに稜線を北上する。
昔、この稜線上の道を進み、最後は藪漕ぎで強引に降りた記憶がある。北峰から12〜3分、サルトリイバラと倒木はあるも
のの歩きやすい道を行くと分岐らしい地点に出る。ここは注意が必要だ。主稜線を直進すれば338mピークだが、ピンクの
テープは左を指している。
直進の道はまたの機会にして、テープの跡をたどる。落ち葉の積もった急坂を下っていくと木々の間に「呉・東広島道路」が
見えてきた。最後の下山道ははっきりしないがここまで来れば、しゃにむに降りるだけだ。急坂を一気に下ると岩山トンネル
の上の舗装路に飛び出した。
舗装路を下り津江の集落へ無事帰ってきた。地元の人に会うたびに「道がありました?」と・・・・・。
確かに津江に降りる道は有った。以前の道とは違うがかなり良い状態で。
この道を案内してくれたピンクのテープのガイドさんに感謝! 後はこの登山道を守るだけだ!
それと何時の日か、338mピークから兼沢への道を探したい!
五月橋から胡神社までは2.6km(約30分)の道程。これで郷原から周回コースの完成だ!
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ウソ城山頂の石柱 |
たまには岩場も・・・ |
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荒れた道と言ってもこの程度 |
最後は無理やり・・・・ |
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こちらが登山口? |
津江の道に出てきた。直進はかっての登山道へ |
ひとこと:黒瀬に降りる人は是非、鋸か鎌を持参して登山道の整備をお願いします!・ |