おしどり登山隊                                     |風便りへ ホームへ 
 吉備路は、岡山県北西部(足守・高松・真金・一之宮の一部)から総社市にかけての一帯の総称で、著名な観光地である。現在
 は倉敷市の一部になっている真備町や倉敷市庄の北部も含める時がある。
 観光地として整備されているほか、一帯に広がる田園地帯の中を自転車専用道が通っており、岡山市から総社市までの観光地を
 自転車で巡ることが出来る。
 田畑の中に佇む備中国分寺の五重塔が吉備路のシンボル的存在であり、その周辺が吉備路の中心地区となっている。
 この付近はかって古代吉備王国時代の中心地だったと考えられており、古墳を始め数多くの史跡が存在する。また、それらの
 史跡に中には桃太郎伝説にまつわるものもおおい。  
  2021年4月6日(火曜日)  西国街道吉備路(T) 吉備津神社〜千足古墳
■吉備津神社〜西国街道
 8:00 吉備津神社の駐車場に車を停めて西国街道への一歩を踏み出す。備前一之宮・吉備津彦神社から歩き始めるべき
  だったかな?
  閑散とした吉備津神社に旅の安全を祈願し、一ノ鳥居まで550mある参詣道の松並木を北上する。
一ノ鳥居 板倉宿の看板 鬼のプレート
■西国街道〜板倉宿
 8:20 一ノ鳥居から西国街道へ。JR吉備線の吉備津踏切を渡ると間もなく板倉宿に着く。小さな川のほとり板倉宿の看板と
  常夜灯が立っている。板倉宿は吉備津神社の門前町と西国街道の宿場として発展したとされるが、宿場の面影を残すものは
  それらしい道幅以外ほとんど残っていない。民家のような「鯉山コミュニティハウス」が板倉本陣跡で、
  「江戸時代の板倉宿場図」が掲示されている。
  民家の壁の「鬼のプレート」には 吉備津路の元鬼と陽鬼と勇鬼 とある。
 
 板倉宿
  板倉宿は寛文・延宝期(1661〜81)に、宮内村にあった本陣(中田家)を板倉村内の東方家に移して形成された宿場
  である。宿駅の負担は両村で半分ずつ負担していた。本陣などは残っていないが、本陣、脇本陣、旅籠、茶屋もあり、
  筑紫紀行には「板倉宿七八町ありて茶屋宿多し。例の芸子遊女もありとぞ。」と指摘している。
真金十字路 不動明堂 足守川
■真金十字路〜足守川
 8:38 街道は真金十字路(板倉交差点)にぶつかった。西国街道と北西の備中松山城へ向かう松山往来、南の庭瀬の陣屋町に
  向かう道が交差している交通の要所であった。
  交差点の右端には不動明堂と供養塔、記念塔が建ち、南から延びてきた道路の分岐の間には「右松山江八里 足守江二里」の
  道標が立っている。
  街道は交差点を渡り、サラダ館の横をまっすぐ進む。県道270号線(清音真金線)と並行した1車線の道が東惣爪の集落の
  中を西に延びている。
 9:03 足守川の土手に突き当たる。ここで街道は一旦途切れる。昔は長さ24間の板橋が架っていたという。
足守川の土手 明治天皇惣爪御野立所跡
■足守川〜惣爪塔跡
 足守川の土手を左に歩いていくと、こんもりした古墳のようなものが見えてくる。途中土手下には惣爪廃寺塔跡の石柱があり、
 古墳のようなものは明治天皇惣爪御野立所跡である。明治43年軍事訓練の観閲を記念したものらしい。 
指さし形の道標 鯉喰神社 鯉喰神社を後に
■惣爪塔跡〜鯉喰神社
 少し引き返し、矢部橋を渡り、U字形に街道の対岸まで戻り、左手に降りていくと、大正4年の指差し型の道標がある。
     川辺 やかげ そう志や道
     金毘羅 くらしき 庄早島
     吉備津 岡山 大坂
 と彫られている。
 道標の指示通り道を直進すると、右手に鯉喰神社が見える。
  鯉喰神社は温羅(うら)征伐にちなむ神社で、朝廷の命を受けた吉備津彦命が吉備国平定の為この地を訪れ、戦いの末力
  尽きた温羅は鯉に化けて逃げようとしたのを吉備津彦命が鵜となり、この場所で温羅を捕まえたと伝えられている。
嘉永3年の道標 造山古墳 造山古墳ビジターセンター
■鯉喰神社〜造山古墳
 9:26 鯉喰神社を後にし、真言宗寶泉寺とその檀家衆の沢山の墓が並ぶ山手の道を進んでいく。山陽自動車道の下を潜り、
  右折すると再び岡山市に入る。車通りが激しい県道270号線を暫く歩くと、左手に嘉永3年の道標がある。「従是比帝釈天
  十五丁」とある。
  西国街道は直進だが、右折して造山古墳に寄り道をする。造山古墳を左手に見ながら、道標から400mほど北に進むと
  2020年4月1日のオープンした造山古墳ビジターセンターがある。ここでトイレ休憩を兼ねエネルギー補給。  
造山古墳全景 造山第1号墳(榊山古墳)
前方部にある石棺 前方部から後円部へ 新庄集落
■造山古墳
 ビジターセンターから新庄集落を抜け造山古墳への急坂を登る。
 造山古墳は岡山県最大、全国でも第4位の規模を誇る前方後円墳で、総社市にある同音の作山古墳と区別するため「ぞうざん」
 とも呼ばれている。
 全長350m、後円部径約約200m、高さ24m、前方部約215m、3段築成でくびれ部両側に造出しが付いている。
 内部構造は未調査の為不明。5世紀前半の築造。
千足古墳 千足集落へ 千足古墳
■造山古墳〜千足古墳
 造山古墳から見えた千足古墳に向けて緩やかな階段を下っていく。こちらの階段が本来の登り口のようだ。
 千足古墳はまだ復元工事中のようだ。古墳の麓を掠めて千足集落を抜け西国街道に合流する。県道270号線に出て、すぐの
 信号を右折し、その先で左折してサイクリングロードを進み、山際の道を歩いていく。

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