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  2021年4月6日(火曜日)  西国街道吉備路(U) 国分尼寺跡〜JR清音駅
国分尼寺跡 国分尼寺中門跡 金堂跡に咲くツツジ
■国分尼寺跡
  山際の道は、一旦県道270号線に近づき川に沿うように右折して行くと、「ぼっこうそば水仙亭」の向いの角に 足守、
  矢掛への道標
が立っている。ここを右手に入ると備中国分尼寺跡へ繋がっている。
  寺跡を南に回り込むと左手に南大門跡があり、その向いにある中門跡を登っていくと赤松林の中の金堂跡に着く。
  備中国分尼寺跡には、金堂礎石跡や築地塀跡などが残っている。寺域は東西108m、南北216mに及ぶ。伽藍は南北朝時代の
  戦火で焼失したと伝えられている。
国分尼寺跡西側の道 吉備路の中心へ こうもり塚古墳
■国分尼寺跡〜こうもり塚古墳
 11:02 案内板に従い、更に西に進むとこうもり塚古墳が見えてくる。自然の丘陵を利用して6世紀後半に造られた吉備地域
  最大の前方後円墳だ。  
こうもり塚古墳 備中国分寺
■こうもり塚古墳〜国分寺跡
 11:07 このこうもり塚古墳は全長約100m、後円部径55〜60m、同高8m、前方部の長さ約60mの前方後円墳です。
  後円部には南に開口する全長19.4mを有する岡山県内最大の横穴式石室がある。石室は玄室と通路にあたる羨道からなり、
  玄室長7.7m、幅3.6m、高さ3.6m、羨道の長さ11.7mあります。玄室内には、浪形石製のくり抜き式の家形石棺が置かれ
  ています。
  むき出しになった石室に向かって登っていく。長い羨道の先には薄暗い玄室があり石棺が置かれている。
  こうもり塚古墳から更に西に向かうと備中国分寺の参道に出る。
国分寺五重塔 作山古墳
■備中国分寺跡〜作山古墳
 11:18 いよいよ吉備の国の中心地に来た。国分寺跡の名残の桜の下で、穏やかな古代の面影を残す風景を見ながら弁当を
  食べる。
  国分寺は国分尼寺とともに鎮護国家を祈るため、天平13年(741)聖武天皇の勅願により建てられた官寺である。
  現国分寺の前に国分寺跡があり、伽藍の配置が標柱で示されている。現在の国分寺は江戸時代中期以降に再建されたもの
  である。
  梅、桜、桃、菜の花、レンゲと季節の花と、田園の中に凛として立つ五重塔が良くマッチし、美しい景観を成している。
  美しい風景に見とれて自転車道を歩いていて街道に戻ることを忘れてしまった。仕方なく自転車道をドンドン歩いていくと
  作山古墳が見えてきた。
  作山古墳は岡山県では第2位、全国では第10位の規模を誇る前方後円墳である。墳丘長は282mは造山古墳350mに次ぐ
  第2位。 作山古墳の南側には近世の旧山陽道が通るが、作山古墳・造山古墳のいずれも旧山陽道沿いに位置している。
角力取山古墳 松の巨木
■作山古墳〜角力取山古墳
 作山古墳に繋がる交差点まで来たが、作山古墳には寄らず角力取山古墳に向かう。少し道に迷ったが、12:30 何とか到着。
 角力取山古墳は5世紀の古墳で、全国でも珍しい方形古墳(一辺約36mx約38m、高さ5m)で、かって地域の支配者であった
 豪族の墓稜と言われている。
 「角力取山古墳」の古墳名は、古くから御崎神社の奉納相撲が古墳の西側に設けられた土俵で行われていたことからこの名が
 ついた。
 角力取山古墳の墳丘上に育成する黒松は樹高18m、周囲5.4mで、樹齢は約450年と推定される。戦前にはさらに数本の老松
 があったというが、現在は1本を残すのみとなっている。
 また、古墳の西側には、総社市西部下山田にあったギリギリ山古墳の横穴式石室が移設復元されている。
東三軒屋常夜灯 吉備考古館の石碑 西三軒屋常夜灯と地神
■角力取山古墳〜一里塚
 角力取山古墳から北に下ると山陽道(西国街道)に復帰することができた。山陽道に出て次の四つ角に東三軒屋の常夜灯が
 たっており、その先の左手に吉備考古館の石碑神社の石柱が立っている。入っていくと右手に石灯籠と地神が祀ってあり、
 その先はちょっとした森になっていて、大化の改新当時、吉備の国窪屋郡の郡家(郡役所)のあった所とされている。
 古代の唯一の大路、山陽道が通っていて東に「津坂駅」があったそうである。森の中には御崎神社が祭ってある。またこの地
 は仁徳天皇が郡司の娘「黒日姫」を慕ってここまで行幸されてきたという伝説も残る。
一里塚跡 山手集落 山田池の堰堤
■一里塚跡〜JR清音駅
 13:02 山手郵便局の先、十字路の角に一里塚跡がある。一里松という地名になっている。岡山、矢掛の方向を示す道標が
 立っている。
 案内板には
   ここを東西に走っている道は、近世の山陽道です。 江戸時代、大きな街道には旅行者に行程を知らせるため「一里塚」
   が築かれました。
   道の両側に小丘を作って、目印に松や榎を植えました。この一里塚にも「一里松」と呼ばれ、親しまれてきた立派な大松が
   ありましたが、昭和30年頃に枯れてしまいました。
 民家の中を進んでいくと「山田池」という溜池の堰堤にぶつかる。池のほとりにはお地蔵さんも祀られている。
 堰堤を渡ると、県道にぶつかる270号線に合流する。ここからの登りは、持坂と呼ばれている。峠を越えるとすぐ左の細い道
 に入っていく。
 間もなく左手に「清音ふるさとふれあい広場」という公園が見えてくる。大きな池の周りで沢山の児童が遊んでいる。
 再び県道270号線に合流し、一直線に高梁川にむかうことになる。この道は歩道があり、歩き易い。
 今日はJR清音駅が終点だ。伯備線の踏切りを渡り、線路に並行に歩いていく。
 14:10 やっと清音駅に到着した。電車に乗って吉備津神社に戻ろう!

 今日の歩行距離  19.0km
 

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